

近頃入っているチラシです。
今晩は、本日も粛々。
政治学というものを、大学時代勉強していたのですが、
政治家になるための勉強ではなく(笑)、
社会の仕組みの中でも、集団の意思決定に関わる学問といえばいいでしょうか、
その集団の中での意思決定というものは、
いくつか段階がありまして、
まず、生活の破壊や生命の危険を取り除く、
次に、人々の活動に自由を求める、
その次に、個々や集団についての幸せを希求する。
政治の歴史を調べていると、
だいたいこういう経緯をたどります。
一番最初の、生活の破壊や生命の危機を取り除く段階は、
総じてメンバーの合意を得やすいのですが、
自由を求める段階になると、賛否が分かれるようになります。
中には、
自由より不自由を求めて、今の地位を安泰にできる方を選ぶケースも多々あります。
この段階は、実は勉強の姿勢にも共通するところです。
とにかく今成績がヤバいという状態でしたらやることはひとつですから、
周囲も本人も、課題が分かりやすいのですが、
問題は、ある程度の成績で満足せずに上を目指すとか、
先生に言われたとおりにやるところから、自分で勉強を組み立てる段階にきた頃です。
ここから筋金入りの自分を鍛え上げていく必要があるのですが、
この段階になって『自由からの逃走』を試みるケースがあります。
例えば、
自分勝手な主張を「自由」と勘違いするケース、
(部活重視で勉強軽視なんて典型ですね)
自分で組み立てるのが怖くて、とにかく人に頼るケース、
場合によっては周囲の大人が、
失敗するのが怖くて、がんじがらめにしたがるケース。
(宿題をたくさん出さないとウチの子勉強しないから、なんて典型ですね)
附属・泉丘・二水など、上位校でのし上がっていく子たちは、
自由の中で義務・責任と、その楽しさを満喫して欲しい。
与えられたものをこなすということ以上を、社会から要請されているだけでなく、
学問は本来自由なものだし、
その自由を活かせる能力があるはずだからです。
だから、このレベルに臨む生徒は、
自分の力で考える期間を必ず設けたい。
手を貸せばテストの結果はすぐ出るのはわかっているのだけれども、
すぐ先生にからの指示を仰ぐクレクレ君より、
失敗を恐れて一歩踏み出せない子より、
粘り強く考える子になって欲しい。
成績が上がることで、次の考え方の段階に進む子もいれば、
ある程度の成績になると、じっくり考えることが必要にもなる。
欲張りなことに、
なるべく双方にスポットライトを当てたいと思っています。
ごんぼっち
posted by ごんぼっち at 23:59|
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