2019年01月10日

「当たり前」を当たり前に

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発売中のクラビズムに、お尻のあたりにほんのりと、
寺子屋が登場しています。


今晩は、本日も粛々。

学力テストの結果が出ました。
偏差値表は第4週頃届きます。

低学年で算国200点満点が出たり、
一科目30点以上アップがいくつも出たりと、
なかなかの結果でした。

今、やっている内容が7割から8割くらいの理解度だったとき、
(テストが70点や80点だという意味ではありません)
それらを10割に持って行こうとする努力より、
大切な努力が双方向あります。

この仕事をしていると「当たり前」なのですが、
世間一般的には必ずしも当たり前ではありません。

それをよく理解してくださって子どもの背中を押し、
子どももそれに応えて頑張ってくれた場合に、
結果が出ています。

まぁ、特に低学年については、
点数がその子の頭の良さを示してはいません。
70点から100点の範囲でしたら、
テストを受けた時間のコンディションなどで、
どうとでも左右されます。

「当たり前」のことをじっくりと、
仕込んでいこうと思います。

それにしても、
小学校も地味だけど当たり前のことに、
時間を割けていないときが、
年々顕著になっている気がします。

「当たり前」のことを当たり前に続ける。
大切です。


ごんぼっち

posted by ごんぼっち at 22:59| Comment(0) | 勉強方法について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月07日

考え方の段階

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近頃入っているチラシです。


今晩は、本日も粛々。

政治学というものを、大学時代勉強していたのですが、
政治家になるための勉強ではなく(笑)、
社会の仕組みの中でも、集団の意思決定に関わる学問といえばいいでしょうか、
その集団の中での意思決定というものは、
いくつか段階がありまして、

まず、生活の破壊や生命の危険を取り除く、
次に、人々の活動に自由を求める、
その次に、個々や集団についての幸せを希求する。

政治の歴史を調べていると、
だいたいこういう経緯をたどります。
一番最初の、生活の破壊や生命の危機を取り除く段階は、
総じてメンバーの合意を得やすいのですが、
自由を求める段階になると、賛否が分かれるようになります。
中には、
自由より不自由を求めて、今の地位を安泰にできる方を選ぶケースも多々あります。

この段階は、実は勉強の姿勢にも共通するところです。

とにかく今成績がヤバいという状態でしたらやることはひとつですから、
周囲も本人も、課題が分かりやすいのですが、
問題は、ある程度の成績で満足せずに上を目指すとか、
先生に言われたとおりにやるところから、自分で勉強を組み立てる段階にきた頃です。
ここから筋金入りの自分を鍛え上げていく必要があるのですが、
この段階になって『自由からの逃走』を試みるケースがあります。

例えば、
自分勝手な主張を「自由」と勘違いするケース、
(部活重視で勉強軽視なんて典型ですね)
自分で組み立てるのが怖くて、とにかく人に頼るケース、
場合によっては周囲の大人が、
失敗するのが怖くて、がんじがらめにしたがるケース。
(宿題をたくさん出さないとウチの子勉強しないから、なんて典型ですね)

附属・泉丘・二水など、上位校でのし上がっていく子たちは、
自由の中で義務・責任と、その楽しさを満喫して欲しい。
与えられたものをこなすということ以上を、社会から要請されているだけでなく、
学問は本来自由なものだし、
その自由を活かせる能力があるはずだからです。

だから、このレベルに臨む生徒は、
自分の力で考える期間を必ず設けたい。
手を貸せばテストの結果はすぐ出るのはわかっているのだけれども、
すぐ先生にからの指示を仰ぐクレクレ君より、
失敗を恐れて一歩踏み出せない子より、
粘り強く考える子になって欲しい。

成績が上がることで、次の考え方の段階に進む子もいれば、
ある程度の成績になると、じっくり考えることが必要にもなる。
欲張りなことに、
なるべく双方にスポットライトを当てたいと思っています。


                             ごんぼっち


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2016年10月14日

将来的にはこういう授業がしたい


今晩は、本日も粛々。


「どんな意見も尊重される」ドイツの民主主義教育ってどうなってるの?
16歳の授業に参加して驚いたこと

The Huffington Post

こういうディスカッション形式で進めていく授業、
とてつもないスキルが要求されます。
しかも今まで塾屋が磨いてきたスキルとは異なる方向性の。
まだ私自身がそこに着手できていませんが、
将来的にはこういう授業スタイルに、
従来の知識取得型の授業を組み合わせたものをできないかな?と思っています。

それには、ある程度知的好奇心というベースと、
自分の意見を言っても構わないという風土が必要になりますが、


日本の就活がどんだけオワコンなのかがわかる、日本とドイツの就活事情の違い5つ

ここのコメントに皮肉的な意味で「日本人」的なコメントがありました。

>>「やりたいことをやって稼ぎたい」「一旗あげてやる」
>>「俺が世界を変えるんだ!」という意欲にあふれている人! 
>こういう人はせいぜい全体のうちの数%しかいない。
>その数%のために制度を変える必要はない、というのも合理的な判断と言えるのでは。

意味わかんないっす。
就職活動なんて、国家で統制して決めるものですか?
ホント全体主義が好きですね。
そりゃ、数%にあたる人が外国行っちゃうよ。

それはともかく、
現在日本では、職業訓練系の大学が不足している一方で
(だから少子化なのに私立大が定員を増やした)、
エリート養成・アカデミズム追究の場としての大学は、従来の方法から転換を迫られています。
ですので2020年に、エリート養成寄りの改革が行われるのですが、
寺子屋のように、
かほく市や石川県から日本や世界を代表するような
人材を輩出したいと考えている塾には、
ようやく時代が寺子屋に追いついたかと思うくらいの感覚でいます。

全体のうち、数%の
「やりたいことをやって稼ぎたい」
「一旗あげてやる」
「俺が世界を変えるんだ!」という意欲にあふれている人!
独立してやっちゃいなYO!
ある一定レベルのところまでくるのは大変だけど、
組織に所属して、学校の時と同じ「人間関係って大変だねー」なんて一生言うのかい。
地方都市だろうがどこでもできる時代になっちゃったんだぜ?

閉塞感漂う日本?
未来はいつでも、
気合いが入っていない人には暗く見えて、
ちゃんと頭を使って今と自分と向き合っている人には、
厳しいけれど明るいものなんだ。


                            ごんぼっち

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2016年10月09日

やる気より習慣に頼る


今日は、本日も粛々。


勉強にやる気は必要ではない、
やる気が無くても大丈夫なように習慣を作ってしまえばよい、
というのが寺子屋の持論です。

ですので、受験生ともなれば、
毎日、毎週、だいたい決まったリズムで皆自習に来ています。
学校行事などで止むを得ない時以外、
いつも。。。です。

ですが、私がいつも面白いなと思うのは、
非受験学年の方です。
ここでリズムが出来ている子とそうでない子の差といったら。
出来ている子は、
毎日でなくても、塾や学校でわからない単元がでてきたら、
すっと何も言わなくても自習に来て、
テスト二週間前や部停期間は必ず毎日。
こういう使い方ができます。

もちろん、授業などは滅多休まないです。
(休校にしようかという天候でも、涼しい顔して来ます)
多少部活等で休んだり、
自習に行こうと思っていた日で行けないことがあっても、
リカバーは数日中にはしてしまいます。

これ、中1とかだけでなくて、
小学生でもそうなんです。

小学生のうちから勉強なんて。。。なんてのたまうご家庭は、
まずここが出来ていないことが多いですね。
さもありなんと思います。


ごんぼっち
posted by ごんぼっち at 12:36| Comment(0) | 勉強方法について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月25日

勉強会


指導内容についての勉強会。
濃い〜メンバーによる、濃い〜指導理論。

寺子屋もまた、進化の予感です。


ごんぼっち
posted by ごんぼっち at 18:23| Comment(0) | 勉強方法について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする