2022年05月31日

少し変えることを重ねていく


今晩は、本日も粛々。



今日、中2の授業で、

ちょっとした勉強のコツを言いました。

とてもシンプルで、



次回の授業までに、

ひとつはやり方を変えるのを試す



です。

こうやって一歩は小さいのですが、

長年積み重なると、

途方もない差になっていきます。



そういえば、

中学生の時から週1回、

ネイティブとディスカッションする機会を持っている生徒がいまして、

週1回たった1時間弱なのですが、

何年も続けると、

英語の点数上は同じくらいの生徒と比べたとき、

オールイングリッシュで英語の授業をすると、

途方もない差になっていたことがありました。



寺子屋も低学年の指導で、

新しい試みをふたつ追加しました。



毎年、全く同じに授業するということは、

過去一度もないかもしれません、



四年ほど前、

寺子屋一期生が四・五年ぶりくらいに遊びに来たときに、

寺子屋があまりに変わっていてびっくりしていました。

基本ベースは同じなのですがね。

つまりはそういうことなのですよ。



ごんぼっち

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2022年05月18日

悪戯をいくつか仕掛けました


今晩は、本日も粛々。



寺子屋に少し、悪戯をしてあります。



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なぜか栃木にあった、

テディベアです。

どこかにこっそり鎮座しております。



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奈良美智さんのポスターです。

いろんな解釈が出来そうな表情が気に入って、

奥しゃんが買っていました。



これ以外にも少しありますし、

今後また増えていくかもしれません。



ごんぼっち
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2022年03月11日

些細だけれども大きな一歩


今晩は、本日も粛々。



石川県公立高校入試、

一昨年は合格者平均が220点台、

去年が250点台。



しかしながら、今年の中3生が一言、

一昨年の問題はそんなに難しいと思わなかった。



私もそう思います。

なぜあれだけ平均点が低かったのか、

私は理解できません。

基礎ではなく、

簡単な問題=基礎と勘違いして、

教え込んできたせいではないかと勘ぐってしまうくらいです。



それはともかく、

その点に気付くことができるまで成長したというのが、

とてもいいポイントです。



些細な気付きですが、

こういうところにアンテナが生まれる子は、

いい芽が芽生えてきている証拠です。

楽しみですね。



ごんぼっち
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2022年03月05日

自学力が育っているか?


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KADOKAWAから絶賛発売中の、

『自学力の育て方』です。

入試が終わったら、単著の原稿を仕上げます。



今晩は、本日も粛々。



高3生は受験が終了している生徒もいますし、

まだ受験がある生徒もいます。

が、受験が終了した生徒は、

粛々と勉強しています。

まぁ、普通の生徒から見ると「狂っている」と思われちゃうかもしれません(笑)。



受験やテスト勉強を、

単に合否を決めるものであったり、

入学して卒業すると学歴という資格を得るだけ、

なんて貧しい考え方でしたら、

奇妙に見えるかもしれません。



『自学力の育て方』で、受験の意味のひとつとして、

「教養バランス調整機能」という役割を書きました。



もし受験の意味を、合否以外の意味も理解できれば、

受験で知りたいことがある程度たまっていて、

それが解放されるはずなんです。



高校受験・大学受験はゴールじゃない、

社会に出てからも勉強は必要、

なんて皆言いますが、

本当にそれが伝わっていれば、

こういう子たちも普通に出てくると思うのです。



ごんぼっち
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2022年02月16日

受験が面白い理由。

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先日最後のチラシが入りました。

3月から新学年でスタートします。



おはようございます、本日も粛々。



昨日早速、寺子屋初医学部受験した生徒を自慢しましたが、

教えた期間が寺子屋にしては珍しく短い生徒だったので、

直接言葉で伝えていない、

寺子屋の文化みたいな部分が伝わっているかどうか、

ちょっと不安だったのですが、

ごめんなさい、きちんと伝わっていました。



受験が終わったその日に早速オンラインで自習に来ていました。

で、受験期に課題と感じていた部分に着手していました。



自学力とは何ぞ、

ということを体現してくれています。



LINEグループで全国の凄腕塾長さんたちと交流しているのですが、

その中でも異質だったみたいです。

でも、寺子屋生としては、毎年のことです。



今年、金大附属高校に受かった子も、

星稜Aコースに推薦で受かった子も、

去年までの生徒たちも、

残念ながら受験で不合格になった子も、

高校受験であったとしても、

大学受験であったとしても、

寺子屋でいい形で受験を迎えた子は、今まで全員そうでした。



受験は、自分の課題から逃げられなくなる、

いいきっかけにすぎず、

合格・不合格は、所詮は進学先からの評価が変わっただけであって、

別に今までの努力が無駄になるわけでもなく、

かといって、自分の課題が変わるわけでもありません。



しかしながら、受験の結果、

つまり「進学先」という他人からの評価が変わっただけで、

さも自分の課題が消えてなくなったかのように、

本人も周囲も考えてしまうことが異常だと思うのです。



受験みたいな、

教育から考えると悪の権化みたいな制度であるにも関わらず、

私たちみたいな塾屋や、

学校の先生たち、

とっくに受験から遠ざかった世の大人たちにとって、

なんだかんだと受験が世の関心事になるのは、



結果が大事なのではなく、

その過程で、

いろいろな生徒たちが課題に取り組んで、

自分の限界を見つけ、

それに挑戦し、

その過程で知的な歓びを見つけ、

自分を磨いていく、

そのドラマが、当事者でなくてもたまらなく魅力的なんだと思います。



ごんぼっち
posted by ごんぼっち at 08:49| Comment(0) | 寺子屋の様子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする