2015年12月30日

鴻鵠の志


今晩は、本日も粛々。


12月18日に自殺した、
ソウル大学の学生の遺書がネットに公開されていました。

「先に生まれた者、持てる者、力のある者の論理に屈服することがこの社会の道理であり、
 生存を決めるのは箸とスプーンの色だった。
 私とはあまりにもかけ離れたこの世の中で耐え抜いていく理由がない」

ソウル大学は、日本でいうと東大でしょうか。
優秀な学生だけに、
世の中を見通しすぎたのだと思います。

私も就職の時は、文字通り、血を吐くほど悩みました。
が、私はこの学生よりバカだったせいか、
彼が言及している内容には、当時も今も一点も共感できません。

小学校や中学校の時、中国の歴史が好きでした。
一番気に入っていたのは、燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや。
その辺にいる人たちに、私の大志は分からないだろう。
まぁ、この名言を遺した人は、
結局「大志」の内容が、自分の域を出なかったため、
反乱を起こして一大国家を作り上げましたが、秦の逆襲に合い、
落城寸前の城を自分だけ逃げようとして、部下に暗殺されます。

が、自分が胸に抱いている情熱に誇りがあれば、
先人の論理に従って生きることを、「屈服」と表現する必要がありません。
そのことをこの名言は教えてくれます。

そして、もうひとつは、
高校・浪人時代に憧れていた予備校の先生たちでしょうね。
当時私は、自分が何をしたいか?すらおぼろげでした。
しかし先生方は、何をしたいか?ではなく、どうやって夢を具体化するか?について、
取り組んでおられました。

もし、今の世の中が、
「先に生まれた者、持てる者、力のある者の論理」であるならば、
その論理は如何様にして出来たのでしょう?
その前にあった論理たちを、ぶっ壊してできたはずです。
ぶっ壊す原動力は、先人たちの論理と常に対抗してきたのでしょうか?
いえ、
むしろ中から食い破ってきたというケースの方が多いと思うのです。

鎌倉六仏教を作った僧侶たちは、皆、比叡山延暦寺に在籍していました。
徳川家康は、各地の大名の捕虜として転々とする生活を幼少期していましたし、
明治維新も、幕府内の重要人物多数から協力を得て、成し遂げられました。
世界史でしたら、もっと豊富にでてくるでしょうね。


ダライ・ラマ14世は言います。
適切なルールの破り方を学ぶために、ルールを守りなさい、と。


そして、自分を支えた最大の論理、
それは、
悩んでいる自分は、
うじうじしていて嫌だなとは思いますが、消してしまいたいとは思いません。
しかし、悩みに負けた自分は、
どんなことがあっても消したいと思うくらい、憎々しいです。

悩んでいるときは、
自分の好きな人たちが心配し、自分の嫌いな人たちは無関心です。
悩みに負けた時は、
自分の好きな人たちが哀しみ、自分の嫌いな人たちが喜びます。

私の視野が狭いところでしょうね。
私は嫌いな人が喜ぶ選択は、したくないんです(笑)。

まぁ、いろいろ行動してみると、
同じ考え方をしている人なんて、日本ですらごろごろいますよ。



                             ごんぼっち

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2015年10月31日

思いやりの問題


今晩は、本日も粛々。


思いやりという言葉は、
思い遣り・・・相手に思いを配ることが語源のようで、
つくづくよくできているなと思います。

先日ニュースで、
ネット情報を真に受けて、中学や高校のテストで、中国と答えるところを支那と書いて、
先生が点数を上げなかったところ、
公立高校は日教組の支配下ですものねと、捨て台詞を吐く。
こういう類の中学生・高校生がいて、
また始末に負えないことに、
こういう程度の低いことで「愛国心の強い子どもだ!」なんて、
わざわざSNSで紹介しているおっさんがいるという、
随分と気持ちがささくれ立ってしまうようなことがありました。

これは無知かそうでないかという問題ではなく、
ネット情報を鵜呑みにするかどうかというリテラシーの問題でもなく、
私と同じ「当たり前」を共有しない他者がいるところでは、
不快に思わせる言葉は用いない・・・という、
単純にそういう思いやりの問題だと思います。

子どもはいいですよ、
変な考え方にかぶれて、ついつい過ちを犯すなんてよくあることですし、
それくらいの経験がある方が、むしろ大人になってからしっかりしそうです。

大人はあかんですよ。
幕末の志士たちが、すべて異人のせいにしてテロしてまわったような、
程度の低い外国観や、「愛国心」をばらまいては。

なぜかって?
怒りとか蔑む気持ちは、最も伝染しやすい感情だからです。


                                ごんぼっち

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2015年10月27日

ビジョンというキーワード


今晩は、本日も粛々。


自民党一人勝ちの政治情勢が続いていて、
アンチ自民で野党が連合できるかどうか?というところにきていますが、
なかなかうまくまとまりそうにありません。

個人的に思うところなのですが、
今、未来へのビジョンを描けているのが自民党だけ、
これが大きな差になっているのだと思います。

そのビジョンが、いいか悪いかは別にして、
他がビジョンを描けていないならば、ある程度分かっている人は、
「他に選択肢が無いから」と、
消極的選択をせざるを得なくなります。

こういう、
実はビジョンがあるのかないのか?で大きな差になっているケース、
たくさんあるように思います。

ビジネスの世界ではもちろんですが、
学校でもそうです。
すごい学校ほど、理念を声高に叫び、
大したことが無い学校ほど、実績を叫びます。

受験生でもそうで、
素晴らしい子は、なぜ勉強しているのか?なんのために勉強しているのか?にこだわり、
大したことが無い子は、点数だけにこだわります。


                                 ごんぼっち

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2015年10月01日

10月


今晩は、本日も粛々。


はやいもので、こないだ年が変わって5期生を送り出したと思ったら、
もう10月です。

10月といえば、学校では年度の折り返しです。
寺子屋は3月から新年度ですので、9月がそれにあたります。
ということは、中2生は中学生として、高2生は高校生としての折り返し地点ですね。

英語で10月はOctoberですが、
Octは英語で「8番目」という意味です。
ローマの暦は寺子屋式(笑)で、3月からスタートするので10月は8番目の月ですね。
ですから、
タコはoctopus、八角形はoctagon、8人組や8ビットはoctet、8度音階はoctaveです。

10月は和暦で神無月。
いなくなった神様は、出雲大社に集結するので島根県だけ神在月。
中学校や高校で習う関連で、各国の祝日を挙げると、

10月1日、中華人民共和国国慶節(1949年毛沢東が建国を宣言)
10月2日、国際非暴力デー(マハトマ・ガンディーの誕生日から)
10月3日、ドイツ統一の日(1990年ドイツ統一による祝日)
10月10日、中華民国国慶日(1911年孫文、辛亥革命スタート。今台湾では大っぴらには行えない)
10月第2月曜、コロンブス・デー(1492年10月12日にアメリカ大陸上陸)
10月25日、台湾光復節(1945年日本の統治が終わる)
10月28日、参戦記念日(1940年ギリシャで第2次世界大戦に参戦した日)

いろいろありますね。
今回このブログ記事を書くために調べて、お恥ずかしながら初めて知った日もあります。

ドイツ大使館のホームページでは、統一25周年の節目として、
統一にいたる経緯を紹介していました。
この動画が大雑把ですが、とても分かりやすかったです。

2分でわかる東西ドイツ統一25周年
(出典 Young Germany)

旧宇ノ気町は、ドイツと縁が深いですね。
西田幾多郎先生はドイツ観念論をよく調べられていたそうですし、
メスキルヒ市とは姉妹都市ですしね。

私の中学時代の友人も、今ご結婚され、ご主人のお仕事でドイツに住んでいます。
ちなみにとっても美人です(笑)。


                                 ごんぼっち

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2015年09月26日

スクラップ&ビルト


今晩は、本日も粛々。


今週は県外からお客様にお越しいただくことが多い週でした。
そこでお話ししていたのが、
金沢に新幹線が通ってどうなったか?というテーマでした。

バブルの頃開発された観光地のひどさといったら、ありません。
その頃には、文化のもつ大切なつながりも、
金と結びつかないからと一刀両断され、
民度が上がってきた頃には、見向きもされない廃墟と化す。
こういうことが行われてきました。

また、東京をはじめ、大都市の消費文化は、
常にスクラップ&ビルトがなされてきました。
しかも、都外出身の「田舎者たち」の手によって。
何代も東京で過ごしている人からは、どのように見えるのだろうか、
東京に行くたびに思います。

そう考えると、まだ少しは、
場所の持つ空気を残した部分が、金沢にはあるように思います。
金沢が観光地として魅力を放つのは、
迎える側の人の問題であって、
しかもそれは残念なことに、官がまだ主導であり、
民がそれに遅れを取っているかもしれないということです。

京都ほどあざとくなくてもいいですが、
そういう時に参考になりそうと思いついたのが、
三重・島根・九州の観光受け入れ態勢です。

大当たりを狙わず、地道にコツコツとおもてなしをして、
リピーターにあふれる観光地という姿。
東京にずっと住んでいる人は口を揃えていいます。
東京型の開発は、もうとっくに限界が見えていて、
しかし地方からやってくる人を考えると止めることができない。
人間が、刺激だけでなく、
場所の持っている力を活かしながら生きていく、
そう考えると、本当に地方の時代にシフトしつつあるのを感じます。

ただ、それにはひとつ、大きな課題があるんです。
職と教育です。
地方は、このレベル差を少しは埋め合わせなくては、いけないですね。
平均ではないのです。
上位層に対してです。


                               ごんぼっち

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