2022年09月27日
幼児・低学年の保護者の悩み
今晩は、本日も粛々。
賢い生徒を育てるために、
たどりついたのは、美術と幼児教育でした。
というタイトルで、
金沢情報さんに載っています。
金大附属や泉丘、
東大京大などを目指す、
普通の進学塾をやっていたとき、
幼児教育や低学年を教えて気付いたこと
こういうきっかけから、
低学年、幼児と、
教える学年を下げていきました。
幼児・低学年のほうが、
中高生の成績差より、途方もない差を感じてしまうのです。
原因ははっきりしていて、
・便利すぎる道具に、幼少期から触れさせ過ぎている
・保護者が子どもとしっかり向き合っていない
・世の中が便利になりすぎて、子育て中の「当たり前」がなかなか得られない
前者ふたつは、いつの世にもある話で、
我々のような習い事に携わる人が介入できない問題ですし、
そのふたつのケースで、
幼児教育、
まして寺子屋のような、
実績等で威圧感がある塾(笑 とよく言われているようです)に
興味を持つ人はいないと思います。
問題は三番目のケースです。
私から見ても、頑張っている保護者の方が、
周囲がデタラメな状態である人が多過ぎて、
勝手に悩んじゃっていたり、
なんとなくこういう方向でやれればいいやと、
わかっているのに、
なかなか言語化できなかったり、
自信が持てきれていなかったり、
大まかな方向性は合っていても、
ちょっとした方策が思いつかなくて困っていたり、
そういうご家庭の力になって、
小賢しい・小ズルい生徒ではなく、
賢い・立派な生徒に近づいてもらえたらなぁと
思っています。
ごんぼっち
2022年09月22日
賢い生徒を育てるために、たどりついたのは、美術と幼児教育
今晩は、本日も粛々。
金沢情報さんに、こういうタイトルで記事が載っています。
小難しいことを言ったり、
いろいろな知識を言ったり、
計算が早かったりすることを、どうしても「賢い」と思ってしまうものです。
特にそれが小さな子だと。
その程度のことは、別に大きくなってから訓練で何とかなるものです。
金大附属や泉丘みたいなトップ校を目指すときに、
テストの点数が取れないといけないのはその通りなのですが、
テストの点数は、
人間の知的なところの、
最もレベルが低い部分しか測れない代物です。
小さい頃は遊んでさえいればそれでいい、
その通りなのですが、
どういう遊びをしていればよくて、
どういう会話が出てくるようになっていればいいか、
チェックできていますか?
遊びとは、仕事や勉強の対義語ではありませんよ。
何歳までのこれ、というところにとらわれすぎる必要はありません。
「つ」が付く年齢までに、
いろんなことに触れる機会を作ってあげないと、
高学年以降の勉強はとても抽象的な世界ですので、
しんどくなるのは当たり前だと思うのです。
粘り強く、多角的に物事を考える力があったうえで、
訓練をしていかないと、
芯の無い状態で、雪だるまを作ろうとしているようなものです。
その状態で中学生になって、訓練的な勉強に耐えられない生徒なんて、
たくさんいます。
どうしたら賢い生徒を育てられるだろうか?
とずっと悩んでいたら、
美術と幼児教育にヒントがありました。
しかも、東京藝大修士課程修了の、
妻が美術と幼児教育を担当します。
ごんぼっち
2022年09月08日
幼児教育や低学年を教えて気付いたこと
今晩は、本日も粛々。
昔は、金大附属や泉丘は、
これくらいやっておけば大丈夫というラインが見えていました。
15年ほど前から、
そのラインをやっていても、
あれ?という子たちが出てきました。
偏差値の壁みたいなものって、やっぱりあるもので、
それの問題かなぁと思っていたのですが、
実は「考える習慣」みたいな問題だったということに気付いて、
幼児教育や低学年と、
どんどん教える学年が下がっていきました。
中高生を指導していて、
この途方もない差を、もっと先の学年から埋めようという、
ごくごく自然な流れだったと思います。
で、低学年を初めてみて、
びっくりしました。
中高生の差なんて、
低学年の差と比べると、
大したことはありませんでした。
低学年における差は、もっと大きくて、
高学年・中学生・高校生と登るにつれて、
彼らがコミュニケーションスキルを身に付けることで、
実は差を埋めにかかっていた、
しかしながら、
それでもまだすごい差だと感じていたにすぎませんでした。
しかも、必要とされているのは、
最新の教育理論ではなく、
昔ながらの当たり前が、
現代では当たり前ではないことが原因だということもわかってきました。
荘子の言葉に、
「機械有るものは必ず機事あり。
機事有るものは必ず機心あり。
機心胸中に生ずれば、則ち純白備わらず。
純白備わらざれば、則ち神生定まらず。
神生定まらざる者は、道の載せざるところなり。」
機械のような便利なものを使うと、それに伴う仕事が必ず増える。
機械に伴う仕事が増えると、便利さに頼る心が生まれる。
便利さに頼る心に囚われると、心の純白さが失われる。
心が汚れると、精神が定まらない。
精神が乱れると、道理がわからなくなってしまう。
一番わかりやすいのが「点数が何点取れていればいい」とか、
「何歳までにこれくらいの力をつけさせねば」とか、
そういうところですかね。
だからといって好き勝手やっていればいいというわけではなく、
物事には道理というものがありますので、
それに沿っていれば、
いいわけです。
ごんぼっち
2022年07月16日
概念から理解するの、大事です。
金沢情報&チラシが入りました。
お問い合わせは問い合わせフォームから宜しくお願いします。
今晩は、本日も粛々。
Twitterでもつぶやきましたが、
TerakoyaH / 進学塾寺子屋本楽寺@四冊目の共著『自学力の育て方』、KADOKAWAから発売中
低学年の子が苦戦しているのは、図から式を求めるところ。数字の操作だけ上手で、実はわかっていない子、めちゃくちゃ多いんです。テストでは100点とか、平気で取るのに、です。
焦らずじっくり、試行錯誤してもらいます。あっさり教えちゃうと… https://t.co/tHyHvw8d1w at 07/15 18:33
テストではいい点数取っていても、
文章を頭の中に入れて、
図みたいなもので再構成して、
数式や文章として表現する、
こういうタイプの生徒が、低学年高学年でとても多いです。
むしろここで引っかかっていない生徒の方が圧倒的に少ないです。
理由はシンプルで、
頭を使わなくても大丈夫な娯楽が多いからなのですが、
なぜかはあまり関係なくて、
こういう場合、
じっくり自分で考えて、
試行錯誤をしてもらって、
目の前にあることを頭の中にイメージできるように、
練習していくしかないのです。
普段から簡単な問題ばかりに慣れていると、
頭が柔らかい小学生のことですから、
あっさり暗記で済ませて、
省エネで点数を取ってしまうわけです。
大人でもネット記事のコメントや、やり取りをみていると、
読めていない人なんてたくさんいますし、
国語専門の私ももちろん、ネット上での文字情報は、
早合点することなんてたくさんあります。
楽な方法を覚えてから、
普通の方法を学ぶと大変ですし、苦しいものです。
いっそ楽な方法なんて知らなかった方がよかったのにと思います。
ここでぐっとこらえて、
意地でも自分で考えてもらいます。
下手にここで手を貸し過ぎると、
今度は大人の顔色をみながら勉強する癖になってしまいます。
点数だけみて、ウチの子はうまくいっていると満足していませんか。
ちゃんとプロセスをみて、子どもと向き合っていますか。
日頃から頭を使わない遊びばっかりさせていませんか。
小学生のうちに必要な勉強をさせずに、
中学生・高校生のように机に向かったり、
早く解けているからと安心していませんか。
こういう基本がすっぽり抜けた状態でも、
中学生になって、過去問と対策漬けで、
進学校に行くだけならできちゃうのが、恐いんです。
ごんぼっち
2022年04月16日
数字に出ない力
今晩は、本日も粛々。
賢い子どもは総じて、保護者の方が賢い、
ということをどうしても考えてしまうんです。
といいますのも、
幼児や低学年を教えていて思うのですが、
この子の数量感覚ですとか、
文章への感度ですとか、
勉強に対する考え方とかが、
劇的に変わるときというのがあるのですが、
それにとても敏感に気付く方と、
全く気付かない方というのがいるからです。
一番困ってしまうのが、
中学や高等学校に行ってからの勉強で「大事」とされること、
毎日決まった時間にある程度決まったことをやるとか、
集中力を持って一心不乱に勉強するとか、
計画性を持って勉強するとか、
そういうのを基準に小学校の勉強を測られてしまうと、
たまったもんじゃありません。
そんなもん、
保護者の方が見ていて、安心する勉強の仕方であって、
幼児や小学生が必要な力では、
全くありません。
お家の方の学歴との相関は、
今のところ、全くありません。
ちゃんと子どもと向き合っているか?
だけだと思います。
ごんぼっち