2022年10月20日

新年少・新年中・新中1あたり


今晩は、本日も粛々。



お寺の仕事の方で、そろそろ報恩講(親鸞聖人のご命日)ですね、

なんてお声かけが始まりまして、

そろそろ年末だなぁなんて感じてしまうのですが、

新年度、

新小1あたりがパンパンになってきて、


新年少

新年中

新中1



あたりをそろそろ募集しようかなぁと思っています。

特に新年中さんあたりは、

若干曜日や時間帯で、

ご希望に沿えないところがあるかもしれません。



ごんぼっち
posted by ごんぼっち at 01:53| Comment(0) | 幼児・低学年用の指導 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月13日

幼児低学年の保護者


今晩は、本日も粛々。



幼児低学年をみるようになって、

中学生の平均点いかない子と、トップ校余裕で合格できる子の差を、

少しでも埋めようと思っていたのですが、

幼児低学年の差は、

想像以上の差で、

中学生の差なんて、かわいく思えるくらいでした。



そういう意味では、

ちゃんと子どもと向き合って、

ある程度順調にきているなぁと思う子どもの

保護者であっても、



私の想像以上に悩んでいたり、

迷っていたり、

場合によっては「そうじゃない!」という方向に流れたり、

というのは

実によくあります。



スマホやタブレットを目的もなく操作させているのは論外として、

子どもだけでなく、保護者にとっても試行錯誤は大事なので、

あんまり目くじらを立てずに、

いつも見守っているのですが、

傾向としてあるのが、




「中高生の勉強の基準で、幼児低学年の勉強をみてしまう」



というのが多いかなぁと思います。

ちょっと不安だったり、

自信が無かったり、

保護者間で意見の相違がでたり、

そういうときは、

送り迎えのときに遠慮なくお尋ねください。



ごんぼっち
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2022年09月27日

幼児・低学年の保護者の悩み


今晩は、本日も粛々。



賢い生徒を育てるために、

たどりついたのは、美術と幼児教育でした。

というタイトルで、

金沢情報さんに載っています。



金大附属や泉丘、

東大京大などを目指す、

普通の進学塾をやっていたとき、


幼児教育や低学年を教えて気付いたこと


こういうきっかけから、

低学年、幼児と、

教える学年を下げていきました。



幼児・低学年のほうが、

中高生の成績差より、途方もない差を感じてしまうのです。

原因ははっきりしていて、



・便利すぎる道具に、幼少期から触れさせ過ぎている

・保護者が子どもとしっかり向き合っていない

・世の中が便利になりすぎて、子育て中の「当たり前」がなかなか得られない



前者ふたつは、いつの世にもある話で、

我々のような習い事に携わる人が介入できない問題ですし、

そのふたつのケースで、

幼児教育、

まして寺子屋のような、

実績等で威圧感がある塾(笑 とよく言われているようです)に

興味を持つ人はいないと思います。



問題は三番目のケースです。



私から見ても、頑張っている保護者の方が、

周囲がデタラメな状態である人が多過ぎて、

勝手に悩んじゃっていたり、



なんとなくこういう方向でやれればいいやと、

わかっているのに、

なかなか言語化できなかったり、

自信が持てきれていなかったり、



大まかな方向性は合っていても、

ちょっとした方策が思いつかなくて困っていたり、



そういうご家庭の力になって、

小賢しい・小ズルい生徒ではなく、

賢い・立派な生徒に近づいてもらえたらなぁと

思っています。



ごんぼっち
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2022年09月22日

賢い生徒を育てるために、たどりついたのは、美術と幼児教育


今晩は、本日も粛々。



金沢情報さんに、こういうタイトルで記事が載っています。



小難しいことを言ったり、

いろいろな知識を言ったり、

計算が早かったりすることを、どうしても「賢い」と思ってしまうものです。

特にそれが小さな子だと。



その程度のことは、別に大きくなってから訓練で何とかなるものです。

金大附属や泉丘みたいなトップ校を目指すときに、

テストの点数が取れないといけないのはその通りなのですが、

テストの点数は、

人間の知的なところの、

最もレベルが低い部分しか測れない代物です。



小さい頃は遊んでさえいればそれでいい、

その通りなのですが、

どういう遊びをしていればよくて、

どういう会話が出てくるようになっていればいいか、

チェックできていますか?

遊びとは、仕事や勉強の対義語ではありませんよ。



何歳までのこれ、というところにとらわれすぎる必要はありません。

「つ」が付く年齢までに、

いろんなことに触れる機会を作ってあげないと、

高学年以降の勉強はとても抽象的な世界ですので、

しんどくなるのは当たり前だと思うのです。



粘り強く、多角的に物事を考える力があったうえで、

訓練をしていかないと、

芯の無い状態で、雪だるまを作ろうとしているようなものです。



その状態で中学生になって、訓練的な勉強に耐えられない生徒なんて、

たくさんいます。



どうしたら賢い生徒を育てられるだろうか?

とずっと悩んでいたら、

美術と幼児教育にヒントがありました。



しかも、東京藝大修士課程修了の、

妻が美術と幼児教育を担当します。



ごんぼっち

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2022年09月08日

幼児教育や低学年を教えて気付いたこと


今晩は、本日も粛々。



昔は、金大附属や泉丘は、

これくらいやっておけば大丈夫というラインが見えていました。

15年ほど前から、

そのラインをやっていても、

あれ?という子たちが出てきました。



偏差値の壁みたいなものって、やっぱりあるもので、

それの問題かなぁと思っていたのですが、

実は「考える習慣」みたいな問題だったということに気付いて、

幼児教育や低学年と、

どんどん教える学年が下がっていきました。



中高生を指導していて、

この途方もない差を、もっと先の学年から埋めようという、

ごくごく自然な流れだったと思います。



で、低学年を初めてみて、

びっくりしました。



中高生の差なんて、

低学年の差と比べると、

大したことはありませんでした。



低学年における差は、もっと大きくて、

高学年・中学生・高校生と登るにつれて、

彼らがコミュニケーションスキルを身に付けることで、

実は差を埋めにかかっていた、

しかしながら、

それでもまだすごい差だと感じていたにすぎませんでした。



しかも、必要とされているのは、

最新の教育理論ではなく、

昔ながらの当たり前が、

現代では当たり前ではないことが原因だということもわかってきました。



荘子の言葉に、

「機械有るものは必ず機事あり。

機事有るものは必ず機心あり。

機心胸中に生ずれば、則ち純白備わらず。

純白備わらざれば、則ち神生定まらず。

神生定まらざる者は、道の載せざるところなり。」



機械のような便利なものを使うと、それに伴う仕事が必ず増える。

機械に伴う仕事が増えると、便利さに頼る心が生まれる。

便利さに頼る心に囚われると、心の純白さが失われる。

心が汚れると、精神が定まらない。

精神が乱れると、道理がわからなくなってしまう。



一番わかりやすいのが「点数が何点取れていればいい」とか、

「何歳までにこれくらいの力をつけさせねば」とか、

そういうところですかね。



だからといって好き勝手やっていればいいというわけではなく、

物事には道理というものがありますので、

それに沿っていれば、

いいわけです。



ごんぼっち
posted by ごんぼっち at 22:54| Comment(0) | 幼児・低学年用の指導 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする