2015年04月24日

国語以外の科目との関係1【附属泉丘の国語7】


今晩は、本日も粛々。


イマドキの子が、どうも国語を苦手としている気がする。
その正体は、論理的思考力がポイントというお話しでした。
論理的思考力というと大上段な気がしますが、
その正体は、例えば部首を覚えて漢字を整理整頓する(抽象と具体の関係)といった、
小さい事象ですが、
その教科のカギになる部分が大事ですということでした。

さて、国語は全教科の土台と言われていますが、
そうであるならば国語の問題は全教科に波及しているはずです。

寺子屋がやっている、地頭をよくする文章処理能力育成講座で、
小4レベルの日本語読解を高校生にやってもらっている時のことです。
論理的思考力は、
@言いかえ
A対比
B原因理由
この3つだと言いました。
理系の高校生に関しては、Bが異様に発達していて、@が特にいいかげんです。
文系を得意にしている高校生は、@Aが上手で、Bを苦手としています。
面白いくらい、くっきり分かれました。

ただ文系理系問わず、苦手としていたのが、
@の言いかえのうち、
・抽象と具体
・比喩
この2つの部分は、顕著でした。

もう1点、
テストでは優秀な成績(80点前後です)ですが、
小4レベルの国語に歯が立たない子もいました。
つまりは、表面的になぞる勉強がくせになっているということです。

このあたりを次回はちょっと掘り下げていきたいと思います。



                              ごんぼっち

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2015年04月15日

本質をつかむ力【附属泉丘の国語番外編】


今晩は、本日も粛々。



一生ものになる、「本質をとらえる頭」の作り方
(東洋経済オンライン)


これ、国語の問題を入口にしていますが、

もちろん国語だけの問題ではありません。



要するにどうよ?

こういう問いかけ、大事ですね。



                          ごんぼっち


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2015年04月09日

語彙力について【附属泉丘の国語6】


今晩は、本日も粛々。



イマドキの子が、漠然と国語ができない気がする。

なぜできないか?より、何ができないのか?

それは言葉と言葉の関係から、考える優先順位をつけるのが苦手なのではという仮説にたどり着きました。

そこまでたどり着いた時に、

語彙力が少ないな・・・という問題も私は、すとんと腑に落ちました。



言葉そのものの数が少ないのは、誰しも気付くことだと思うのです。

単純に、野球や相撲などなど、今の大人たちが知っている「当たり前」を知らないことや、

じいちゃんばあちゃんと話す機会が少ないがための、

語彙力不足は、それこそ塾が嘆いてもどうしようもできないことです。

そんなことより私がいつも気にかかっているのは、


・部首の知識が少ない

・ことわざや故事成語・慣用句を知らない

・類義語や対義語を知らない

・文法になると途端に苦手になる


この4点です。

論理の観点から見ると、この4点は致命傷なのです。



論理的思考力とは、

@言いかえ表現(具体⇔抽象、比喩も含む)

A正反対の表現

B因果関係

と言いました。



部首は、漢字という膨大な知識を、ある法則に従ってまとめたものです。

木材関係はきへん、水関係はさんずい、火関係はれっか・・・のように。

これは、漢字を束ねるひとつの抽象的な理論です。

この知識が欠落しているということは、

ひとつは、漢字を整理整頓して覚えていない

もうひとつは、漢字を見た瞬間に、

具体的な目の前の漢字を、抽象的な部首理論にあてはめるという練習をしていない

ということです。



ことわざ・故事成語・慣用句は、大半がたとえ話です。

比喩による言いかえ表現のうち、我々に最も身近なのは、これらです。

これらが苦手な生徒は、

「夢は大切だ、まるで未来を決めるようなものだ」なんて日本語を平気で書きます。

平均点程度の生徒の話ではありませんよ。



類義語・対義語に関しても同様です。

言葉を似たグループでまとめたり、正反対の意味でまとめたりというのは、

言葉の数を持つ上で不可欠です。


意欲的・強気・前向き・夢中・誇らしい・ひたむき・信じる・・・

消極的・弱気・後ろ向き・無気力・恥かしい・自堕落・不信感・・・


似た言葉や正反対の言葉でまとめてしまえば、これらが同じ方向の言葉で、

しかもそれぞれとの意味合いの差も際立つので、覚えやすいです。

知識の性質は、

知識と知識が結びつくと忘れにくく、

単独だと忘れやすいものです。

組織と同じですね。

バラバラだと大人数でも弱く、まとまっていると少人数でも勝つ。



文法は、言葉と言葉の関係をとらえるためのルールです。

よく「文法なんて、日頃言葉を使う時に意識なんてしないから、無駄だよ」という話がありますが、

ひとつは、大人はある程度正しい日本語を使うのが「当たり前」になっているので、

その重要性にはなかなか気付けません。

できないことはよく気付くが、

できていることが何のおかげで成り立っているかに気付かないのは、よくある話です。

ふたつめに、文法は日本語を使うために必要なのでは無く、

論理的に日本語を扱うために必要な知識です。

英語でも、ただ日常会話をするのと、教育を受けた英語とではその性質が異なります。



現象としては、国語のある分野が、ちょい苦手・・・という体裁を取っていますが、

その実態としては、

日頃ふとした時に、論理的に頭を動かすだけの材料がそろっていない

という点で、実は致命的な欠点のように思えます。

生徒たちがある程度の量の知識を、各個撃破のように攻略している状態だとすれば、

抽象と具体の飛翔、

無関係に見えたはずの事柄がある一点でつながる興奮、

巧みな比喩で文章がぐっと美しくなる魅惑、

単独では分からなかったことが、比べることで明確に見える驚き、

対立していた事柄が高い次元で統一した際のダイナミズム。

こういう知的興奮を、日常的に得ていないというのは、とても勿体ない気がしてきます。

そしてこれらの単元を「入試での配点が低いから」と、「やればできるから」と、

なおざりにしてきた私たち塾の責任も大きいような気がします。

もちろん、私も含めてです。



論理的思考とは、論理的であることが大事なのではなく、

「思考」というのがポイントです。

思考ですから、「日頃頭を動かす動かし方」です。

日頃からの頭の動かし方ですので、何気ない機会にどれくらい実際に動かすかが大事です。

そして、小さな日頃の積み重ねが、大きな思考力と育っていくわけです。



イマドキの生徒が、国語に対し漠然と分かっていないのではないか?という疑問と、

なぜこの子たちは語彙力が少ないのだろう?という疑問は、

論理的思考力という一点でつながりました。

国語は全教科の土台である・・・とは、いろんな方も仰っています。

いろんな教科でみられる、

あれ?という事柄もつながってきました。

次回はそのお話し。




                                   ごんぼっち


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2015年04月06日

「話す・聞く」と「読む・書く」の違い【附属泉丘の国語5】


今晩は、本日も粛々。



昨日のブログはアクセス数1600を越えて、

何が起こったのか、一人で焦っていました(笑)



イマドキの子たち、国語のどこができていないのか?を、

日本語が「読めて」いないだけで、決して日本語を理解していないわけではない、

というお話しでした。


日本語が読めていないとは、どういうことかと申しますと、

一般的に言語は、話す(聞く)時と読む(書く)時とは、

考える順番が違うのです。

話す(聞く)といっても、スピーチや授業ではなく、日常会話でです。



話す(聞く)時は、考えた順番と、話す順番は比較的一致しやすいです。

そして、話された言葉以外にも、表情や今までの付き合いといったことも参考にできます。

読む(書く)時は、文章で大切な順番を考えて、文字を追っていきます。

そして、文字以外の情報はあまり参考にできません。

この、大事なところを順位をつけて考えることに、論理的思考力なんて小難しい名前がついています。



主語・述語を意識して読まない、

述語につながる言葉を勘で探してしまうということは、

大事な順番が分かっていないという意味で、

同じ事柄なわけです。

いうなれば、気合オンリーで数独パズルを解いているような状態です。

順に考えていけば、すっと解ける問題を、

一気に考えるわけですから、そりゃ大変です。



以前、

外国人留学生より語彙力や会話力が豊富であるはずなのに、

日本人の方が国語の成績が悪かった

という事例を挙げましたが、

外国人留学生は、その国の成績優秀層です。

つまり、論理的思考を極限まで鍛えている人たちです。

ですから、言語が変わってもその意味さえ翻訳できれば、

その扱い方に差が出てくるのは当然だと思います。



論理的思考力とは、考える優先順位をつける力だと言いましたが、

考える優先順位をつけるには、もうひとつ分かっておかなくてはいけないことがあります。

それが「言葉と言葉の関係」です。

関係はシンプルで、3つ。

@イコールの関係(具体⇔抽象の言い換え、たとえも含む)

A正反対の関係

B因果関係

これが分からないと、どれが大事かは分かりません。



イマドキの生徒で相当数できていない事柄に、

主語・述語を意識していない、述語につながる言葉を勘で探す、の他に、

「てにをは」ができない・・・を挙げましたが、

「てにをは」を含めた助詞・助動詞は、言葉と言葉の関係を示す役割です。

関係をつかめない生徒が、

大事なところの優先順位(つまり主語述語)を見抜けないのは、したかがないことです。



で、勉強というのは、

国数英理社といった科目をとおして、徹頭徹尾、この論理的思考力、

つまり、

言葉と言葉の関係から、大事な順に考える・・・を鍛えることです。



イマドキの子たちが、語彙力に乏しい。

その正体を探るために、私はこういう道筋をたどりました。

文章が長いとお叱りを受けた後に、長文(笑)。

今日はこのあたりで・・・。



つづく



                                ごんぼっち


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2015年04月04日

いったい「何が」できないのか【附属泉丘の国語4】


今晩は、本日も粛々。



イマドキの子が国語ができないという漠然とした疑問と、

一生懸命頑張っているのに、ある種の壁にぶつかってしまうという問題。

この2つは日本語が「読めて」いない点でつながっていると仮説を立てました。

それが果たしてどういうことか?



寺子屋の季節講習恒例、

地頭をよくする文章処理能力養成講座では、

小学校4年生レベルの文章を、

正しい読み方で読むことで、

今まで我流になっていた読み方を修正し、

日本語を読んだり書いたりする際の考える手順を伝えています。



その指導中に、気になることが出てきました。

あくまで目安ですが、

国語が比較的苦手な生徒(国語の点数でいうと平均前後くらい)では、

「てにをは」の部分でつまづきがみられる。



国語が普通くらい(平均+10点〜20点ほど)の生徒で、

主語・述語を意識していないためのミスが目立つ。

ちょっと長い複文になると、あっさり主語を間違えます。

訂正されると、「しばらく」や「山には」「看板を」なんて主語を、

平気で書いてきます。



国語が得意な生徒(常時80点以上)でも、

述語に何をくっつけると、日本語が伝わりやすいのか?という部分に関しては、

大の苦手です。

述語は何ですか?と聞かれて、

「帽子をかぶっています」と「帽子を」まで付けてしまう。

要点を書けと言われて、主語述語+一言でちょうど指定字数になるという場合、

その「+一言」が自由極まりない(笑)。

本当はちゃんと優先順位があります。



よく見られるこの3つの間違い、

私のように文章を書く機会が多い人からすると、

それこそ「外国人より下手でも仕方が無い」レベルです。

しかもそのレベルで、泉丘高校くらいでしたら合格してしまいます。



しかしながらこの地頭をよくする(略)で行われている講座内容の一部、

小4レベルの日本語読解は、ある大学受験用参考書からのアイディアなのですが、

その大学受験用参考書には、

「各地域のトップ校レベル、大都市圏でも上位3校に合格できるレベルでなければ、

 小中学校での文章・数的処理能力に大きな課題を抱えていると考えてよい」

とあり、この小4レベルからの読解は必要と書いてありました。

各地域のトップ校レベルを、こちらに当てはめると附属・泉丘あたりになりますが、

トップ校の定義を「学年の半分が帝大+医学部に行けるレベル」としていますので、

泉丘はアウトとなります。



実際、この地頭をよくする(略)を、泉丘高校生にやっても、

小3内容に戻らなくてはいけないレベルの子ばかりです。

この日本語を「読む」力で、

問題集等の解答解説を読んで、何が得られるのでしょうか?

国語力と、自学自習する力が、

一点でつながる部分です。



イマドキの子が国語の「何が」できないのか、

少しずつ見えてきました。


「てにをは」が不十分な生徒がいる

主語・述語関係を意識して読んでいない

述語に何から順番につなげていけばいいかを、勘でやる


この3つの問題点が明らかになった時、

私は「イマドキの子が、語彙力少ない」という問題にも、

ピンとくるところがありました。



つづく



                           ごんぼっち


posted by ごんぼっち at 23:59| Comment(0) | 附属・泉丘の国語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする