2019年06月06日
環境+努力 or 環境vs努力
今日は、本日も粛々。
南海キャンディーズの山里さんのご結婚、
そういえばこれだけ祝福に満ちた結婚のお知らせって、
いつ以来でしょうか。
寺子屋ブログで一度、
山ちゃんを取り上げたことがあります。
やる気に頼らない勉強法
やる気が無いことと、勉強しないことは、イコールではありません。
医者が、やる気が無いから今日は診察をやめるとか、
役所の担当者が、やる気が無いから今日の婚姻届けの受理はできませんとか、
あるわけがありません。
やる気より習慣に頼りましょう。
ある一定の習慣ができるまでは、必ずやり続ける。
そうすると、勉強しないと気持ち悪いと思えるようになったら、
もう最高ですね。
点数がいいから、親が褒めてくれるから勉強するといった、
目的と手段をはき違えるようになると、
せっかくの勉強の面白さから遠ざかります。
で、せっかく取り上げるのが二回目なので、
今度は別の角度から。
記事の前半、「陰で支えてくれた兄、気持ち入れ替え」の部分です。
3年半前ほどのこの記事を見たとき、
山ちゃんって賢いなぁと思うようになったのです。
賢いとは、
「自分が何のおかげで支えられているか、分かっていること」だと、
私は勝手に定義しているのですが、
これは大事なポイントです。
そういえばかつて、
>がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、
>あなたがたの努力の成果ではなく、
>環境のおかげだったことを忘れないようにしてください。
という文言に対し、
自分たちの壮絶な努力を否定されたと感じた東大生男子が多かったようです。
それを見た、私と妻は意見が偶然一致して、
「今まで、『よく頑張ったね』と甘やかされて育てられたんだねー」
でした。
昔の話、
受験で不合格だったが合格発表日当日に報告してくれて、
私はこう答えました。
「今日はずっと凹んでてもいいから、明日からまた頑張りましょう」と。
実際、翌日から猛勉強を始めたそうで、
お家の方が戸惑っていました。
後日、本人に聞いてみると、
「受験に挑戦できたのは、
親が塾に行かせてくれたり、
進路を応援してくれたおかげだから、
頑張る以外に選択肢が無かった」
と殊勝なことを言っていました。
「あのね、そう考えられること自体が、本当は素晴らしいことなんだよ」
「え?普通じゃないですか?」
「君は『頑張るしか選択肢が無い』と言ったけど、
親や環境のおかげと思っていない人には、実はもうひとつ選択肢があるんだ」
「もうひとつですか?」
「うん、それは
気持ちが前向きになるまで、落ち込んでいる
という選択肢」
「自分が何のおかげで支えられているか」をわからない人は、
努力と環境を対立事項として考えます。
つまり、
環境のおかげ=君の努力ではない、と。
そういう人は、
一度自分の力でやってみたいなんてたわけたことを言います。
私もそういう時期がありましたので、
よくわかります。
生まれた家や理解ある親・先生・友人というのも、
個人の才能の一部ですよ。
ただ、
才能を活かすことは、とても難しいですよ。
今は亡きお世話になった塾の先生が、
底抜けのアホだった当時の私にかけてくれた言葉です。
あ、ご結婚おめでとうございます^^
尊敬できる人と一緒になりたい、
ご主人を一生懸命支えたいなんて、
素晴らしい奥様ですね。
福岡県出身で、さらに芸術学科出身なんですね、蒼井さんって。
私の妻と似ていますねー、
じゃ間違い無いですよ(笑)。
ごんぼっち
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