2019年05月14日
文化における公共事業的な何か
今日は、本日も粛々。
5月19日日曜に行われる、諌山先生特別授業、
早速たくさんのお申込みをいただきまして、ありがとうございます。
さて、
大阪でどんどんぱしに行ったとき、
マクド(大阪だけに)でコーヒーしながら、その興奮を語りあっていたのですが、
結構いい曲が流れているんですよね。
しかも、
カセットテープに好きな曲を編集していた世代だからかもしれませんが、
曲と曲のつながりも非常に良い。
「マクドナルドの店内BGM」のディープさに感動して“中の人”に直撃したら本当にスゴかった話
なるほど、ここまで凝ってたわけですね。
マクドナルドの資本力が無ければ、
ここまで最低限必要なものではなく、
あるといいな的なものにまで資本を割けないかもしれません。
同じ音楽で考えても、
素人がとりあえずたくさん集まった人たちが売れなければ、
そのレコード会社の、
大ヒットを狙えない、ジャズやクラシックみたいなジャンルの音楽を
配信する余力を持てないでしょう。
国営放送のように、
視聴率を過度に気にすることなく、
しかもある程度資金が潤沢でなければ、
子供向け歌番組にUAや電気グルーヴなどを採用するような、
思い切ったことはできないでしょう。
こういう視点も、
またアリということです。
と、
最近買った、興行とパトロンという本を読みながら、
しみじみと考えたわけです。
ごんぼっち
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