2019年01月15日

原点を感じるとき

452.jpg

発売中のクラビズムに、
こっそり登場しています。


今晩は、本日も粛々。

余談です。

四回ボヘミアン・ラプソディを観てきたというお話をしました。
映画に限らず伝記物というのは、
その人の私生活の暴露であったり、
スキャンダラスな側面を描くものであったり、
事実に忠実にありすぎるあまり面白くなかったりと、
とかく難しいもので、

歴史小説を得意にしていた森鴎外は、
「歴史其儘、歴史離れ」
にその真髄があると言っていましたが、

この映画「ボヘミアン・ラプソディ」はまさにそんな感じで、
フレディ・マーキュリーは特に、
もっと滅茶苦茶な私生活を送ったりもしていましたし、
美しく描きすぎという批判があるのも知っていますが、
そういうのは、
興味を持った人が、後々に調べればいいことであって、

白人でもっとも歌唱力があると言われ、
20年ほどメンバーチェンジも行わず、
未だに評価される音楽家たちで、
しかも優れたパフォーマンスを行った人たちを、

いかに製作者たちや役者たちが、
愛を持って描くか?

そういう素人から見ても、
いや、
素人目線だからこそ大切なことというのが、
とても伝わってくる映画でした。
(ここまで一文・・・笑)


原点みたいなイメージです。


例えば塾という仕事で言うなれば、
生徒の成績アップや、受験を通して、
いかに生徒たちの人間的な成長を積み重ねてもらうか。
こういう一点が、
素人と実際に仕事に携わる人との、
価値観が合う、数少ない接点だと思うのです。

仕事が熟練してくると、
そんな甘いもんじゃないよ、、、という想いになってしまったり、
他にも大切なことが多すぎて、目が向かなかったり、
生徒や先生も点数を取ることだけにしか意識できなかったり、
いろいろ紆余曲折あるものですが、
原点から遠く離れた真理なんて、
なかなかないものです。

原点なんて簡単に言いましたが、
それにたどり着くには、
生まれ持ったルーツや、
振り払ったはずの闇のような部分、
今取り組んでいる事柄の課題まで、
全部ひっくるめて向き合わないと、
腑に落ちるところまではやってこないものです。

まさに映画の中のフレディや他の登場人物たちのように。


そんな感じで私は「ボヘミアン・ラプソディ」を観てきましたが、
おかげで、
最近生徒たちに、妙な諦めを見出して、
熱くなれなかった部分があったのですが、
そこらへんが少し戻ってきた感じがします。

戻ってきたのはいいのですが、
ホワイトボードを思いっきり殴ったら、
おそらく骨にヒビが入ったようです(笑)。

ほどほどに頑張ります。


ごんぼっち
posted by ごんぼっち at 22:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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