2018年03月14日

寺子屋8期生入試結果


今晩は、本日も粛々。

今日が公立高校入試、合格発表でした。
今年の生徒は成績的には比較的優秀でしたが、
姿勢という面では寺子屋史上最弱でした。
その分怒ることも多かったですが、それでへこたれずに頑張ってきたと思います。

泉丘 4名
二水 2名
桜丘 1名
石川高専(電子情報)1名
私立専願 1名

という結果になりました。
ここ4・5年くらいは、受験者の約半数が泉丘受験・合格という感じですね。
唯一不合格だった二水の1名は、
なんとかしてあげたかった生徒なので、後悔があります。

寺子屋が開校して8年間の累計です。
県外2名5校 灘、東大寺、西大和、鹿児島ラサール、関西創価
附属1名
泉丘25名
二水15名
石川高専6名
桜丘12名
七尾13名
羽咋11名

先日、仲の良い塾長さんたちとお話ししていて話題になったのですが、
本物って必ず伝わるということです。
寺子屋が伝えたいことは「勉強は最高のエンターテイメントである」ということで、
それは間違いなく真理だと思うので、
伝わらないとすれば、伝える側の私が不十分なんでしょう。
どの塾長さんたち、いえ経営者も、真理とおいた内容は異なっても、
多かれ少なかれ、同じように考えています。
塾だけでなくいろんな経営者とお話しした経験上。
にも関わらず、
世に認められているものが、
ズルいことをやっているからうまくいっていると発想するのは、
その人自体が本物とは程遠い紛い物でしかありません。

まぁ、寺子屋は小さい、細々とやっている塾。
世に認められているとは、これっぽっちも言えないくせに、
大見得切ってみました(笑)。

そういう意味では、
今年の受験生も、受験をとおして伝えたかったこと、
全員には伝えきれなかったです。
半分くらいかなぁ、
道は、果てしなく遠い、、、


                                  ごんぼっち

posted by ごんぼっち at 22:37| Comment(4) | 寺子屋について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
真理とか本物とかいう以前の問題です。ずるいことをするからうまくいくと思っているのではなく、ずるいことをしていてもうまくいくのが塾というものだと思っている人が多いのではないのでしょうか?数例挙げます。合格率がよいときだけ他塾が合格率を出さないことに批判的なコメントを書き。前年度を下回るやいなや集計中とごまかして前年度の合格率をそのまま今年度のものとして放置。それを見て入塾される父兄の方に対して誤情報を意図的にさらしている風に見える塾があります。あれだけ頻繁に更新していてそこだけ手付かずは意図的であると判断するしかありません。また学生アルバイト講師がスラスラ解いて生徒に指導したという大学入試の数学の答案の根本的な単純ミスを指摘するとあれはメモだったとごまかされました。また、大学入試で今まで全員前期合格していると言いながらカリキュラムは旧課程のまま。こういう塾もあります。これはほんの一例に過ぎません。この話を誰かにすれば、塾なんてそんなものだという返事が返ってくるのではないですか?本物は伝わっても偽物も伝わるのであれば本物は相対化されます。このままではズルをしても、ではなく、するから世の中に認められるという見方が、少なくとも塾という業種に関しては的を得ているということになるのではと思うのです。それは判断する側の問題ではなくされる側の問題なのではないですか?以前このブログで先生に返答をいただいた者です。その節は大変、誠実に対応していただきありがとうございました。
Posted by 一般社会人 at 2018年03月17日 19:29
一般社会人様

コメントありがとうございます。
まず、論理の順番が逆です。うまくいっているところがすべからくズルをしていると発想するのがいけないと言いたいのです。
塾は、確かにレベルが低い業界ゆえ、うまくいっているところにいけないことをしているところがあるのも、承知しています。
しかし、うまくいくには必ず理由があります。その理由が塾の本質からあまりにズレていれば問題ですが、そうでないところもいくつも知っています。悪貨良貨を駆逐する危険があるのは、おっしゃる通りですね。

次に、うまくいかない場合は、必ず自分に原因を求めるべきだということです。うまくいかないのは、うまくいっているところがズルをしているからだ、と発想するのは経営者失格ということです。
ご提示いただいた事例なんて、まさにそうですね。間違っても、改めたり、裏では真摯に受け止めていたりが必要です。自塾の方針と相反する場合は別ですが。

本物が相対化されてもいいと思います。
学習法ひとつとっても、状況やタイミングによって最適なものは異なりますので、もともと絶対的なものではありません。
Posted by ごんぼっち at 2018年03月19日 04:35
誰かが批判する。その時に批判する人間を偽物であると個人の人格の問題に矮小化して斬り捨てる。これが問題だと申し上げているのです。おっしゃる通り本物偽物の基準など人間にはそもそも存在しないはずです。うまく行くにも理由がある様に批判的に思われるのにも理由がある。そのように常に自分の問題、業界の問題として受け止めないと裸の王様になる。仮に失敗した経営者がいたとしましょう。その原因を全て他人に求めるのも問題ですが全て自分に求める経営者も問題であり、業界を取り巻く環境も必ず考慮に入れるべきでしょう。ズルをすると成功すると考えるならば自分もズルをするか環境全体を変える様に努力するかそこを逆手にとってズルをしないことを強みにするか色々考えれば良いだけです。それで成功すれば先生のおっしゃる本物なのか偽物なのか判断できますか?失敗した経営者が何を原因に求めるかなど人間の価値になんの関連性もなくそこを問題にするのは意味がないと思うのです。批判する側としてだけではなくむしろ批判される側に立って考えるべきだと思うのです。ご返答いただいてありがとうございます。不躾な書き込みでご迷惑をおかけして失礼しました。
Posted by 一般社会人 at 2018年03月20日 09:19
一般社会人様

お返事ありがとうございます。

いろいろ前提が異なっているようなのですが、誰かが寺子屋を批判したから、その批判した人を偽物と言ったわけではないのです。「本物ってなかなか伝わらない」と悩んでいる友人がおりましたので、そんなことないよと伝えたかった記事です。

業界全体の問題としてとらえるという意識を持つ必要性に関しては賛成ですが、まずは自塾の方針と顧客へのどう効果的に伝えるかが最優先です。
偽物のせいで本物をやっているはずの自分がうまくいかないと考えるより、自分が本物であろうと内容を磨くこと、それを効果的に顧客に伝えること、あくまでこれがビジネスの基本だと考えています。

原因自分説は、サラリーマン時代から私が意識していることですが、ビジネスではそんなに珍しい考えではありません。原因自分説を採る理由はシンプルで、業界や他人のせいにしても、自分では変えることができないからです。

これを「業界の問題を個人の問題に矮小化している」とは言わないと思います。
Posted by ごんぼっち at 2018年03月20日 19:00
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