2017年07月07日
塾として嬉しいこと
今晩は、本日も粛々。
よく勉強の相談を受けた時に思うのですが、
「ウチの子、勉強のやり方が分かっていないと思うのです」とか、
「時間をかけているわりに、成績が悪いのです」という話を聞きます。
私はちょっと怖いなと思って、つい身構えてしまいます。
このメッセージ、使い方を間違えると、
「やり方が悪かったら、やっても無駄」
「時間をかけたらかけた分だけ、成果として現れるのが当然」
という、メタメッセージ(要は裏の意味ですね)になってしまいます。
勉強は質量ともなっているのが理想的ですが、
敢えてどちらかを選べと言われれば、私は迷わず、
★勉強量
を選びます。
勉強のしかたがわからない、
効率のいい勉強のしかたを教えてくださいと言われれば、
それがわかるまで勉強量をこなす
というのが、本来は最短の道なんです。
方法を言うくらいのことはできますよ。
それはタイミングを間違うと、依存心だけを育てるかもしれないという、
危険な賭けに出るので、私も相当考えながら話します。
そんなことより、一番違和感を感じるのは、
点数は多少伸びたのに、思ったほどではなかったと、
うまくいかないときに、あれこれ悩んでいる姿。
これって一生懸命になっているという、何よりの証左だと思うのです。
なぜそれを「喜ばしいこと」と思えない保護者、
これが親心なのでしょうね。
私は
「点数が伸びたのに、それが不満な様子」は、
塾の先生としてみていて、一番嬉しい姿です。
いい点数を取ってガッツポーズしている姿は、
そんなに好きではありません。
次につながらないことが多いからです。
期末も450点以上がばしばし出ていますが、
良かった^^とのたまわっている生徒は、まだいません。
悔しそうな顔をしている子はたくさんいます。
ごんぼっち
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