おはようございます、本日も粛々。
東日本大震災で、最も死亡率が高かった場所のひとつ陸前高田は、
結構精神的にやられました。
内陸から車で向かったのですが、まだ海が見えないうちから、更地が目立ち、
戸惑っているうちに高田小学校が見えました。
陸前高田は奇跡一本松を観光スポットにして、
多くの観光客で賑わっていました。
敢えて海岸近くの道路を通って、宮城県気仙沼に向かいます。
真っ直ぐ向かったのはここです。

復興商店街
プレハブで一生懸命やっていました。
5年以上経過して、まだこの状態です。
気仙沼も、津波でボロボロになったビルや家屋が、ところどころにあります。
プレハブ自体も、おそらく2・3年ほどしか経っていないのではないでしょうか、
まだピカピカです。
宮城県は通過するだけの予定でしたが、
慌ててお菓子屋さんを探して、買い込みます。
いわしパイ人数分に、ネタを少し。ネタの方は数が少ないので、
早いもの勝ちね。

対岸から気仙沼を眺めます。
日常ではこんなに穏やかな景勝地なのにね。
石巻は海岸近くまで行けませんでしたが、街は元気でした。
この経路も、ただの偽善的な同情です。
ただ、私たちの世代は、阪神・淡路大震災のときの後悔があります。
10年経って、他人事で済む人たちには昔の悲劇。
文字通り、劇。
しかし神戸の人たちから、
街は賑やかさを取り戻していても、いたるところに爪痕は残っているし、
気持ち的にも復興が終わった気が何一つしない。
という話を聞いて、ショックを受けたのを、
今でも憶えています。
だから私は今回、
★忘れないようにする
という道を採りました。
さて、石巻の後、大学時代の友人がたまたま仙台にいたので、
落ち合って牛タンをば。
娘さんも大きくなって、今年小学校4年生。
1時間ほど談笑して、
山形市へ。
岩手、宮城、山形と強行軍でした。
車中、眠くならないように一人カラオケも、
青森で買ったCDを全部聴き倒してしまいました(笑)
46都道府県まできました。
山形県は回りたいところが実はもう決まっています。
珍しい(笑)
では、行ってきます^ ^
ごんぼっち
被災後すぐの支援、ボランティアが賞賛され、それは間違いないし尊いが、問題はもっと先に深く大きく横たわってる事、わかってない人が多いんじゃないかと。
コメントありがとうございます。
5年も経ってまだこれで、今回の熊本をみても、阪神・淡路や東日本大震災の教訓は何だったんだと。
当事者目線と他人事目線、どちらか一方ではなく、うまく視線が交差する一点を、ずっと持ち続けたいですね。