睡眠時間が少ない強行軍が続いているせいか、
やはり今日も寝坊(笑)
昨夜のうちに、原爆記念館と遠藤周作記念館のハシゴを目論むも、
故里庵先生の方を諦める。

前評判で、広島よりはエグくないよ。
とは聞いていましたが、強烈でした。
白人が目立ちましたね。
多少凄惨でも、こういう人類史に残るところに足を向ける知性は、
見習いたいなと思って、彼らを見ていました。
長崎では山間の土地柄が影響したせいか、
原爆投下直後、周辺の交通網が分断されず、翌日には被曝者を輸送し、
治療する算段がとられたようで、
広島と随分違ったようですね。
その際に尽力した永井隆医師の功績が讃えられていました。
また、連合国軍の捕虜や外国人労働者の被曝者の声も展示してありました。
捕虜だったオーストラリア人が、
長崎の人には申し訳ないが、戦争を早く終わらせ、被害を最小限度に止めるには、
原爆投下は必要だった。
それにより、私も辛い捕虜生活から解放されたんだ。
という言葉は印象的でした。
彼の意見に賛同するから?いえいえ、長崎の被曝者には辛い言葉でも、
きちんと両論併記する、館の姿勢が、です。
またユニークだったのは、
核開発に世界が明け暮れた時代に、
ウラン採掘地や、原水爆核実験近くの人たちの声が多くあった点ですね。
旧ソ連領や、アメリカ、ビキニ環礁の人々のインタビューがありました。
放射能は危険ではない。
病気と核実験の因果関係は明らかではない。
どの国の政府も、判で押したように同じ説明をするものですね。
後に公開された合衆国の公文書では、
核が人体にどのような影響を与えるかを調べるため、
住民を避難させなかったことが明らかになりました。
(やはり、情報公開は大切ですね)
複雑な思いで記念館を後にしました。
昨夜に続いて、雨です。
雨の長崎は、情緒があっていいですね。
なんて思っていたら、

福山雅治号(笑)
ホームには新譜の歌詞があったり、
曲が流れたり。
さぁ、次はいよいよ、
九州最後の未踏の地、佐賀県です。
ごんぼっち