2015年09月15日
知覧特攻平和会館
鹿児島中央駅から、車で1時間ほど。
お茶で有名な知覧に行きます。
お目当ては陸軍特別攻撃部隊の記念館。
特攻隊で亡くなった方々の遺品や遺書、家族からの手紙、写真が展示されています。
もうね、涙無しには読めませんでした。
祝日でもない、月曜のお昼にもかかわらず、たくさんの人がいました。
私がいた2時間くらいでも、5〜60人くらい。
お年寄りのツアーだと思うでしょう?
いえいえ、若い方が半分くらい。
中には女性一人というのも、何名か見かけました。
遺書の展示では、3分の1くらいの方が、
ハンカチで目元を拭ったり、鼻をすすったりしながら、観ていました。
だって、特攻隊員の大半が、
20代の若い兵や、学徒出陣のメンバー。最年少17歳。寺子屋4期生と同い年。
日本人全てが勇敢な民族なら、
今で言う中間管理職クラスが一番多いはずです。
なんだかね、こういう光景を見ていると、人間って捨てたものではないと、
思うんです。
特攻隊を送り出していた知覧の人々や、軍人の一部が、
終戦後、戦争に関わる資料を極秘のうちに処分されていく中、
隊員の資料などを必死に隠し、
終戦5年後から、こういう会館を作るように働きかけ、
今、ユネスコの世界記憶遺産申請に、尽力しています。
彼らの情熱に頭が下がると同時に、
会館でも語られていませんでしたが、
兵士の遺書や家族への手紙は、検閲されていましたし、
特攻隊のほとんどは、戦艦に激突する前に撃ち落とされています。
(確か、成功率は2%だったか忘れましたが、とても低い数字でした)
それを考えると、
兵士の命を犠牲にすることが前提という下策だっただけではない、
悲哀を帯びます。
一方で、彼らが出撃した主な戦いは、沖縄戦です。
沖縄戦は、沖縄の人たちと本土の人たちとの断絶を端的に示す戦いとして、
語られることが多いですが、
それを超えた、沖縄と本土という二分法を超えた悲劇でもあったという証左です。
こういう点からも接点が持てないだろうかと、
ふと感じました。
それから隣の知覧ミュージアムに。
こっちはガラガラ(笑)
お目当ては、隠れ念仏です。
薩摩藩は、キリシタンだけでなく、浄土真宗を弾圧したことでも有名です。
隠れて真宗を信仰してきた知覧の人々。
信仰は、日本では引いてみられることが多いですが、
穏やかかつ真摯な祈りに、
心を打たれない人はいません。
若干へこたれながら、
大いに考えさせられ、
ほのかに温かいものを感じながら、
熊本城へと急ぎます。
ごんぼっち
コメントありがとうございます。
知覧特攻平和記念館は、素晴らしい施設です。ある程度の年齢になったら、子どもでも感じるところはあると思います。