2015年01月10日

価値


今晩は、本日も粛々。



石川県のような地方都市の不幸は、

上を知らないということです。



私自身の出身大学は大したとこではありませんが、

それでも、ハイパーな人たちがたくさんいました。



私は卒単130ちょいのところを、250単位くらい取って卒業しましたが、

履修できなかった科目を含めると、300くらいだと思います。

学外の、現役の教授や教員が参加するゼミにも参加できました。


中堅私立大学ですので、割合としては少なかったですが、

この程度やっている人は、やはりいました。



志望校を決めるのに実際に大学に行き、

授業を聞いたり、通っている生徒から話を聞いたり、

その大学や学科の教授の本や論文を読んだり。

実際、私が受験する直前に当時の学長が、

キリスト教の精神を忘れ、学徒出陣に協力した罪を告解しました。

それに感動して受験校に加えたという生徒も、

何名もいました。



高校生にすれば、素晴らしい行動力とアンテナですが、

大都市圏の子たちは口を揃えて言いました。

当たり前でしょ?と。

地方都市の進学校で、そんな事をしている人は、

一人も知りませんでした。



附属、泉丘、二水、七尾に合格することは、

大して難しいことではありません。



むしろ、その程度のことで調子に乗って、

好奇心や、

同世代、同学力の生徒たちの意識を学べない。

こちらの方が、よっぽど罪深いと思います。



こういう振る舞いのひとつひとつが、

人間力を高め、

学力も高めると考えています。



こういうことを伝えて、

そこに価値を見出せる保護者、生徒たちのために頑張りたい。



非受験学年の時から頑張っていると、疲れるよ。

今の子たちに合わせて、やる気が出やすいようにハードルを下げる。

田舎の当たり前を押し付けて、みんなそこまでやっていないよ?



耳触りのいい言葉で、

人の足を引っ張る人は、

新しいことに挑戦し続けたり、

高い目標に粘り強く取り組んだり、

工夫して何かを生み出したり、



つまり、

人生を楽しめない人なんだと思います。



知性を身につけると、

はじめは苦しさや醜さ、

しんどさや心苦しさを感じてしまいますが、

そこに堪えて、

それでも美しいものを探そうという心構えを持てた時、

世界はこんなにも美しい。



ですから、楽しむのは意志の力なんです。



ごんぼっち




posted by ごんぼっち at 23:59| Comment(0) | ちょっと思ったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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