2014年10月23日
小学生の国語
今晩は、本日も粛々。
小学生の国語を、夏期講習で行っていた、特別プログラムを、
通常授業でもずっとやるようにしました(小6以外)。
国語ほど、弱点が認識されにくい科目は無いなと思っています。
今、小学生にやっているプログラム、
実は中学生や高校生がやっても難しいです。
それくらいみんな「意識的に」日本語を扱っていないのです。
英語でも、educated English(教育された英語)というのがあります。
教育された英語と、何となく使っている英語は、やはり異なるんですね。
この場合の教育の意味は、日本語の場合とまったく同じです。
「論理的」ということです。
この論理として日本語を駆使することができるということは、
日本語を「なんとなく」ではなく、意識的に扱うことです。
これは教えないと分からない。
ここを放置されているケースが、9割方ですね。
しかしながら、思うのです。
大学の勉強は、この論理が無いと、全く意味を成さない。
大学を就職予備校と位置付けていれば、そこまで問題にならないのかもしれない。
しかし大学を「就職には直接役に立たなくても、
ある程度どんな道でも究めようとすれば、必要な寄り道」と考えていれば、
これは致命傷。
中間テスト・期末テストだけ。
入試だけを見ていては、決して分からない事柄です。
いや、傾向は出ているはずなんです。
論理力の無い子どもはたいてい、
★会話していてピントがずれていると思う時がある。
★年の割に幼稚な考え方をする。
★理屈に合わないことに、妙に我を張る。感情的になる。
という傾向がありますから。
国語を指導していて、悩ましいところです。
ごんぼっち
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