2014年01月27日

古典


今晩は、本日も粛々。



仕事柄、本を読むことが多いです。

まぁ、単純に読書が好きというのもあります。

行きすぎて、

本を読まない人は、人でない・・・というくらい、

原理主義者になっております。



塾の先生は、

生徒に教科を教える人であるから、

教科に関連するような書籍を読むのは当たり前です。


また、ビジネスパーソンでもありますから、

ビジネス書を読むのも、当たり前だと思っています。


そして、教科「で」教える人でもありますから、

文芸書や専門書等も読むのが、当たり前だと考えています。



そういうふうに読書生活を送ってきて、

何かひとつ足りないなーと思っていて、

ふと思い立ったのが、本業でほぼ毎日読んでいるお経です。

そっか、私の読書生活には古典が足りなかったんだ!と。

それで以前、夏目漱石で一番好きな、

『私の個人主義』という講演を文字起こししたものを買って、

それ以来、気になる古典を何か1冊、

手元に置いて、ふとした折に読みたいなーと思っていました。



そう言われてみれば、

私から見て塾であろうが、他業種であろうが、素晴らしい経営者は、

総じて古典を愛しています。



前職の社長は、一時期ベストセラーになった、

道元の素晴らしさを切々と説いていましたし、

教行信証、歎異抄、徒然草・・・といった日本の古典だけでなく、

プロテスタンティズムと資本主義の精神や、自由論、カラマーゾフの兄弟など、

西欧の古典もよく、いろんな敏腕経営者たちから勧められていました。



そうなんですよね、

古典って不思議なもので、

ひりひりと渇くような、読まなきゃ!読みたい!という渇望感に駆られるわけではないのですが、

ふとしたスキマに聞きたくなるビートルズやストーンズのような、

そんな読みたさに襲われる代物です。



そんな私が先般購入してきたのは、







★論語










です。

まぁ、祖父が病床の折、大きな字の論語を買って行ったら、

とても喜んでいたので、
(結局それでも字の大きさが足りずに、読めなかったのですが)

思わず手に取ったのですが、



私はもともと、高校時代、諸子百家に心酔していた頃があります。

諸子百家とは、中国の春秋・戦国時代に活躍した思想家たちです。

きっかけは中学の時に読んだ、井上靖の『孔子』です。

・・・というと、

まぁ、頭のいい中学生だったのね。。。って半ば呆れられながら、

リアクションされるのですが、















表紙がカッコ良かった(笑)


kousi.jpg


ほら、重厚で、

持っているだけで、開いただけで、

大人な教養人みたいな雰囲気じゃありませんか(笑)。



所詮、中学生なんて、そんなものです^^;



そこから荘子、孫子、荀子、孟子、老子などなどを読んでいったのですが、

当時私の心を最もとらえたのは、




★老子




です。

高校時代に、勝手に師と崇めていた先生から、


老荘の思想はねー、

努力することを覚えてから読まないと怠け者になっちゃうからねー。

あー、根保ちゃんはだから、

努力しない達人なんだー(にやり)



と言われながら、読み続けました。

そんな私が、まさか論語を手に取るとは思いませんでしたが、

買って、ぱっと開いたページに、



子貢、仁を為すを問う。

子いわく、工(たくみ)そのことを善くせんと欲せば、必ず先ずその器を利ぐ。

この邦に居るや、その大夫の賢なる者に仕え、

その士の仁なる者を友とせよ、と。


子貢が、仁(人の道)の実践方法を質問した。

孔子はこうおっしゃられた。

職人がいい仕事をしようと思うと、必ずまず道具を磨く。

そのように、自分がいる国においては、重臣のうちの賢人を選んで、

そこに仕えることだ。

そして、同僚のうちで人格者と親しくすることだ、と。



・・・なんて文章に出会ってしまうわけですから、

啐啄の機(そったくのき)ではありませんが、

やはり私には、

論語から呼ばれていたんだなと、

つい思ってしまうのです。



古典もいいものですよ^^



                         ごんぼっち



posted by ごんぼっち at 23:59| Comment(0) | ちょっと思ったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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