2019年09月01日
ふさわしいリズムを、自分で見つけてマネジメントする。
今晩は、本日も粛々。
目の前で生徒たちが、これまた粛々と学力テストを受けているところで、
ブログ更新です。
本職は、寺子屋だけに僧侶なのですが、
その仕事で、毎度毎度、リズムの大切さを思い知ります。
一番わかりやすいのは、
近しい人が亡くなったとき。
最初の数日は、絶対に休ませてはいけないもので、
喪主や葬儀準備という役割を負わせ、悲しみから少し目を逸らさせます。
一親等以内でしたら3日から7日、
仕事などから離れて、悲しみに浸る機会があります。
この間も、僧侶が毎日法要を行うので、社会との接点は切れていません。
四十九日まではいつもの社会のリズムで生活して、
一週間に一度法要があります。
遅くとも四十九日でお骨とはお別れで、
余計な執着を断ち切るイメージです。
悲しい気持ちを勝手に慮って、このリズムを崩すと、
亡くなった方からずっと離れられず、
社会復帰が難しくなる、
という昔の人の知恵でしょうね。
死生学という、
人がどうやって死を受け入れていくか、というプロセスを研究する学問があるのですが、
そこでも日本の葬儀の在り方と、ぴたりと一致する周期で、
近しい人の死を受容していくようです。
昔の人は、
そういうリズムを体感的に知っていたのですね。
講習のように長丁場、
勉強に触れる機会を作るのは、
このリズムに似ています。
受験勉強で身に付ける最低限の勉強の意味合いは、
自分自身の総合マネジメント能力ですので、
勉強以外の予定、気持ちが乗らない、自分のペースを崩したくない、
などといった事例は、
そのリズムを崩す危険を背負うことになります。
まぁ、
こんな理由付けをする人で、
リズムを崩す危険性を知っている人には、
今まで一人も出会ったことがありません、
残念ながら。
先の近しい人が亡くなった例で言うなれば、
とても仲が良かった人が亡くなったので、可哀そうだからそっとしておこう、、、
なんてやっているうちに、
二度と家から出てこなくなる事態を招くみたいなものです。
特に、皆が遊んでいるときに毎日勉強に取り組むということは、
勉強に取り組む考え方を、ちょっと変えるには、
とてもいい機会です。
考え方を習慣にするには、
毎日取り組むのが一番です。
ごんぼっち