今晩は、本日も粛々。
目の前で生徒たちが、これまた粛々と学力テストを受けているところで、
ブログ更新です。
本職は、寺子屋だけに僧侶なのですが、
その仕事で、毎度毎度、リズムの大切さを思い知ります。
一番わかりやすいのは、
近しい人が亡くなったとき。
最初の数日は、絶対に休ませてはいけないもので、
喪主や葬儀準備という役割を負わせ、悲しみから少し目を逸らさせます。
一親等以内でしたら3日から7日、
仕事などから離れて、悲しみに浸る機会があります。
この間も、僧侶が毎日法要を行うので、社会との接点は切れていません。
四十九日まではいつもの社会のリズムで生活して、
一週間に一度法要があります。
遅くとも四十九日でお骨とはお別れで、
余計な執着を断ち切るイメージです。
悲しい気持ちを勝手に慮って、このリズムを崩すと、
亡くなった方からずっと離れられず、
社会復帰が難しくなる、
という昔の人の知恵でしょうね。
死生学という、
人がどうやって死を受け入れていくか、というプロセスを研究する学問があるのですが、
そこでも日本の葬儀の在り方と、ぴたりと一致する周期で、
近しい人の死を受容していくようです。
昔の人は、
そういうリズムを体感的に知っていたのですね。
講習のように長丁場、
勉強に触れる機会を作るのは、
このリズムに似ています。
受験勉強で身に付ける最低限の勉強の意味合いは、
自分自身の総合マネジメント能力ですので、
勉強以外の予定、気持ちが乗らない、自分のペースを崩したくない、
などといった事例は、
そのリズムを崩す危険を背負うことになります。
まぁ、
こんな理由付けをする人で、
リズムを崩す危険性を知っている人には、
今まで一人も出会ったことがありません、
残念ながら。
先の近しい人が亡くなった例で言うなれば、
とても仲が良かった人が亡くなったので、可哀そうだからそっとしておこう、、、
なんてやっているうちに、
二度と家から出てこなくなる事態を招くみたいなものです。
特に、皆が遊んでいるときに毎日勉強に取り組むということは、
勉強に取り組む考え方を、ちょっと変えるには、
とてもいい機会です。
考え方を習慣にするには、
毎日取り組むのが一番です。
ごんぼっち
posted by ごんぼっち at 21:27|
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