2019年05月25日
来年から小学校の教科書改訂です
今日は、本日も粛々。
題名のとおり、来年の小学生は、
英語とプログラミングが必修となる、新教科書になります。
自治体による取り組みに差があるのですが、
石川県は私が電話調査をした感じですと、
他県に比べて、時間数の確保に関してはできているみたいです。
が、
そもそも小学校の教員採用試験に英語はありませんでしたから、
先生による差が出るのはしょうがないことで、
いい先生に担当してもらえたら、
その先生が英語もしっかり勉強していたという素晴らしい人であって、
他を責めるのはお門違いです。
さて、小学校英語については、
先日、エデュケーショナル・クラビズムというコーナーで、
今までの英語教育を率直に反省して、
しかも英語教育を過大評価しないという良記事があったのですが、
寺子屋としての結論は、
★小学校英語はやって悪いことは無い
です。
他の教科といっしょです。
理科や社会を中学生になってからでいいとか、
算数を小学校でやらなくていいという意見はないと思います。
それと同じで、
先にやっていれば、得意になる人も出やすくて、
最初に失敗しても、中学生になっても取り返しが効く、
という意味でです。
ただ、中学生になっても取り返しが効くとはいえ、
従来みたいな、間違いも多いやり方でやったとすれば、
私たちの世代以上になるのは難しいと思います。
よく
国語をしっかりしないと、英語をしても無駄という意見がありますが、
それも正しいのです。
英語のスペシャリストに、
「マルチリンガルで母語ができないがために、思考力が浅い人ってどれくらいの割合ですか?」
と聞いたときに、
「体感であって数字的な根拠はありませんが、8割くらいですね」と聞いて、
驚きました。
しかしながら、
国語の方が大事なので英語は小学校でやらなくていい、と主張をしている方で、
★国語力って何ですか?
★どうすれば国語力を身に付けることができますか?
に答えられる人を、
まだ一人しかお会いしたことがありません。
(かなり有名な、他県の国語塾の塾長です)
だから、寺子屋では小学校英語をやっていますが、
英語だけ受講したいというご家庭は、お断りしています。
で、
中学校以降の英語学習で、
一番弱点になっているところを補強するというのが、
小学校英語の目的です。
小学校で英語が成績付きで始まりますが、
そんなに大きく構える必要もないですよというお話でした。
ごんぼっち
2019年05月23日
見られる方が勉強になる
ご無沙汰しております、
本日も粛々。
日曜の諫山先生特別授業に際して、
京都大阪福井から先生方が見学に来られて、
昨日は岐阜から。
他の先生が来ているときに、
生徒の様子を見ていて、
こういうところが恥ずかしいな、
別のところは良く見えるんだな、
などと考えています。
なんぼ偉そうなことを言っても、
生徒を見れば、その塾や塾長の人柄やイズムがよくわかります。
寺子屋生は、中学生くらいになると、
知らない大人がいても、
少しは自分から挨拶できるようになっていて、
ホッとしました。
とにかく自分から計画を立てて、
自分から勉強していますね。
そう言われたのは嬉しいのですが、
私としてはまだまだだという想いが強いです。
それでも面映ゆいものです。
構いすぎると、自分で勉強できないだけでなく、
精神的なフォローが常にないと、
何もできないヘナチョコになっちゃいますし、
放っておきすぎると、
勉強の意味を小さくしか解釈できなくなる。
塾に携わって20年近く。
昔とは見えている景色こそは違いますが、
永遠の課題です。
ごんぼっち
2019年05月14日
文化における公共事業的な何か
今日は、本日も粛々。
5月19日日曜に行われる、諌山先生特別授業、
早速たくさんのお申込みをいただきまして、ありがとうございます。
さて、
大阪でどんどんぱしに行ったとき、
マクド(大阪だけに)でコーヒーしながら、その興奮を語りあっていたのですが、
結構いい曲が流れているんですよね。
しかも、
カセットテープに好きな曲を編集していた世代だからかもしれませんが、
曲と曲のつながりも非常に良い。
「マクドナルドの店内BGM」のディープさに感動して“中の人”に直撃したら本当にスゴかった話
なるほど、ここまで凝ってたわけですね。
マクドナルドの資本力が無ければ、
ここまで最低限必要なものではなく、
あるといいな的なものにまで資本を割けないかもしれません。
同じ音楽で考えても、
素人がとりあえずたくさん集まった人たちが売れなければ、
そのレコード会社の、
大ヒットを狙えない、ジャズやクラシックみたいなジャンルの音楽を
配信する余力を持てないでしょう。
国営放送のように、
視聴率を過度に気にすることなく、
しかもある程度資金が潤沢でなければ、
子供向け歌番組にUAや電気グルーヴなどを採用するような、
思い切ったことはできないでしょう。
こういう視点も、
またアリということです。
と、
最近買った、興行とパトロンという本を読みながら、
しみじみと考えたわけです。
ごんぼっち
2019年05月09日
天才の不在
今晩は、本日も粛々。
国立新美術館で、トルコの至宝と、ウィーン・モダン展を観てきました。
さすが芸大で勉強してきた妻が、
クリムトやシーレの、突っ込んだ解説をたくさんしてくれました。
オスマン帝国の期間は約600年、
江戸時代の倍以上の長きにわたる帝国ですが、
時期的には重なる部分もあります。
特に今回は、スレイマン1世からの美術に焦点が当たっていたので、
江戸時代前後50年ほど長くしたところですね。
独自の文化が醸成された点では、江戸時代は特筆に値しますが、
異文化の吸収度合いという意味では、さすがにオスマン帝国に分があるなぁ
という印象を受けました。
まぁ、支配領域が江戸と比べる方が酷ですか。。。
第一次世界大戦直前のウィーンは、
江戸時代の金沢と状況がよく似ていて、
両方とも、巨大な検閲を恐れて、
工芸品や身近な私的領域などに芸術の対象が向かっていきます。
しかしながら、金沢にはクリムトのような天才は生まれませんでした。
それはなぜかというところに、思わず関心が向きました。
表面的なことを言えば、
当時のウィーンは、排他的ナショナリズムが吹き荒れるヨーロッパにあって、
数少ない多民族国家であった点があるかもしません。
ちなみにヴィトゲンシュタイン家やフランツ・カフカ、
ワーグナー、フロイトにヒトラーまで、
尖がった人材がたくさん、世紀末ウィーンから登場します。
クリムトはスキャンダルまみれの人だったらしいので、
同質的な社会では、真っ先に潰される、
いや、登場すらしえないかもしれません。
唯一、写真を撮ってもよかったので、ぱちりと。
トルコ展とウィーン・モダン展で買ってきたものを、
わしわしと寺子屋内に飾ってあります。
クリムトが書いたポスター(もちろん複製)です。
余白の使い方があまりにかっこよくて、
つい、
事務所のドアに貼りました(笑)。
他にもいろいろとありますので、
ぜひ見つけて、
堪能してください。
ごんぼっち
2019年05月05日
土地の息遣いを知る
今晩は、本日も粛々。
Twitterに呟いたとおりにフラフラ歩いていたのですが、
折角なので、
妻の学生時代の友人たちに会うのを勧めました。
なんせ、
究極のマイペース夫婦なので、
友人も数年放っておくのもザラ。
久しぶりの再会をお邪魔しないようにしているうちに、
妻の実家がある地域のルーツを調べていました。
三井三池炭鉱とともに隆盛を迎えた北九州工業地帯は、
どこの地域もそうであるように、
光が強ければ強いほど、
影も大きいもので、
その両方をなるべく理解して、
その土地に住んだ人の考えを、
少しでも理解したいと思っています。
影があるから悪いみたいな、
短絡的な思考ではなくて、
光だけ眺めても、
人間の本質には全く近づくことができません。
奇しくも福岡市立美術館で開かれていた、
英国で活躍するインカ・ショニバレさんの展示。
人形が着ている服は、ショニバレの故郷であるアフリカを植民地支配していた、
イギリスがルーツで、
東南アジア経由でアフリカに渡り、
今でもアフリカで人気のある衣服。
そして人形に頭には地球儀。
撃っている銃からは花。
植民地時代の受苦の叫び以外の、
支配被支配という対照以外の、
何かを伝えようとしているみたいです。
まぁ、そんな感じです。
新大牟田駅にあった団琢磨の銅像、
福岡市立美術館にあった広田弘毅の銅像、
彼らも評価が分かれる人たちですが、
影の部分以外も評価され、
かといって、影の部分をなかったことにせず、
そういう営みって、大切だと思うのです。
ごんぼっち