
発売中のクラビズムに、
こっそり登場しています。
今晩は、本日も粛々。
余談です。
四回ボヘミアン・ラプソディを観てきたというお話をしました。
映画に限らず伝記物というのは、
その人の私生活の暴露であったり、
スキャンダラスな側面を描くものであったり、
事実に忠実にありすぎるあまり面白くなかったりと、
とかく難しいもので、
歴史小説を得意にしていた森鴎外は、
「歴史其儘、歴史離れ」
にその真髄があると言っていましたが、
この映画「ボヘミアン・ラプソディ」はまさにそんな感じで、
フレディ・マーキュリーは特に、
もっと滅茶苦茶な私生活を送ったりもしていましたし、
美しく描きすぎという批判があるのも知っていますが、
そういうのは、
興味を持った人が、後々に調べればいいことであって、
白人でもっとも歌唱力があると言われ、
20年ほどメンバーチェンジも行わず、
未だに評価される音楽家たちで、
しかも優れたパフォーマンスを行った人たちを、
いかに製作者たちや役者たちが、
愛を持って描くか?
そういう素人から見ても、
いや、
素人目線だからこそ大切なことというのが、
とても伝わってくる映画でした。
(ここまで一文・・・笑)
原点みたいなイメージです。
例えば塾という仕事で言うなれば、
生徒の成績アップや、受験を通して、
いかに生徒たちの人間的な成長を積み重ねてもらうか。
こういう一点が、
素人と実際に仕事に携わる人との、
価値観が合う、数少ない接点だと思うのです。
仕事が熟練してくると、
そんな甘いもんじゃないよ、、、という想いになってしまったり、
他にも大切なことが多すぎて、目が向かなかったり、
生徒や先生も点数を取ることだけにしか意識できなかったり、
いろいろ紆余曲折あるものですが、
原点から遠く離れた真理なんて、
なかなかないものです。
原点なんて簡単に言いましたが、
それにたどり着くには、
生まれ持ったルーツや、
振り払ったはずの闇のような部分、
今取り組んでいる事柄の課題まで、
全部ひっくるめて向き合わないと、
腑に落ちるところまではやってこないものです。
まさに映画の中のフレディや他の登場人物たちのように。
そんな感じで私は「ボヘミアン・ラプソディ」を観てきましたが、
おかげで、
最近生徒たちに、妙な諦めを見出して、
熱くなれなかった部分があったのですが、
そこらへんが少し戻ってきた感じがします。
戻ってきたのはいいのですが、
ホワイトボードを思いっきり殴ったら、
おそらく骨にヒビが入ったようです(笑)。
ほどほどに頑張ります。
ごんぼっち