2018年06月29日
歴史は現在の自分を相対化する旅である
発売中のクラビズムに、寺子屋再度登場です。
最近入っているチラシです。
お問い合わせ多数いただきまして、ありがとうございます。
今晩は、本日も粛々。
テレビを持っていないので、
正確に言いますと、妻は持っていて私は観ないのですが、
世間はワールドカップの話がわいのわいのみたいですね。
観る暇が全く無いので、
半端ないって!と言われても「???」という感じです。
塾は繁忙期に入っていますので、
しょうがないですね。
【すべての世界史を学んだ人たちへ】東大教授が魅せる、教科書執筆の裏側
東大発オンラインメディアUmeeTより
教科書執筆の裏側です。
世界史編ですが、とても面白かったです。
ちょうど今、高校生の現代文の授業で、
歴史は相対的で暫定的な学問である、、、という意見に賛成反対を論ぜよ、
という、
滋賀医大(笑)
の問題をやっていて、
そことドンぴしゃで重なります。
さすが医大、
受験科目に関係することしか勉強していない人はさようなら。。。という
出題意図です。
それはさておき、
>最近特に言われますが、学問的成果を社会に還元しなくちゃいけない。
>研究させてもらっている恩返しを、教科書という形を通してできると思います。
教科書は歴史学的には正確でない時もあるけれども、
大学で学問に入門するための踏み台で、
それがあったから、高みに行けた。
その恩返しを、膨大な研究の時間を削られてでも、教科書執筆に使いたい。
ここ、
熱いです(笑)。
授業での号令の意味
(寺子屋ブログ、過去記事)
こういう話を、また生徒に伝えないとと思いました。
勉強の神に、
そしてそれを取り巻く栄光無き天才たちに、
囲まれていることを、
あいさつの時くらいは意識しましょう、と。
ごんぼっち