今晩は、本日も粛々。
寺子屋1期生が就職決まったと報告に来てくれたので、
一献交わしながら、色々と話を聞いていました。
偏差値50前半から二水合格。
根性の塊みたいな子でした。
勉強センスというか、
地頭みたいな部分は今ひとつだったのですが、
持ち前の吸収力で、
賢い子たちの行動をぱたぱたと真似していきました。
転機は高校1年の文理選択の時、
数学が苦手だから文系と安易に選びそうだったのですが、
調べているうちにやりたいことを見つけて、
一念発起、理系に行きました。
この時、私はこの子についてはもう大丈夫と、
安心して見送る覚悟ができました。
大学受験は第一志望じゃなかったものの、
やりたいことが見つかった人には、そんなことは大した問題じゃありません。
就職も試験も、
ちゃんと期待以上に突破していきました。
この子を見ていると、心から実感します。
泉丘までは、頭に良さは必要ありません。
習ったことをやり切るという、
意志を行動に変える力だけです。
やりたいことが見つかっても、
勉強量をきっちりこなせる勉強体力みたいなものが無いと、
やりたいこと具体化することが出来ない。
将来なりたいものがあれば、この子も頑張るのに、、、
そんな馬鹿な。
やりたいことが見つかって頑張るのは当たり前、
やりたいことが見つかる前でも自分のスペックを上げた人が、
やりたいことを実現するときの大きな力になるから、
古今東西、勉強を軽視した文明は、一部の独裁国家を除いて存在しないんです。
子どもがその高校に行きたいなら、子ども自身が頑張るはず、、、
違います。
大人はやりたいことを具体化する方法を知っているからそう思うだけです。
取り組もうと思ったことをやり切ってもらうには、
周囲の覚悟が必要です。
やり切るまで取り組まないのは、周囲の覚悟が足りないからです。
(自戒も込めて)
ただ、これだけだと「合格のためだけ」の勉強になってしまいます。
しっかり勉強体力に見合う器に広げる部分は、
寺子屋みたいなところがしっかり本人も気付かないうちに、
耕していきます。
この子も、寺子屋の壮大な仕込みに気付いたのは、
かなり後になってからみたいです。
まぁ、私からすると、気付いただけでも充分賢いです^ ^
ごんぼっち
posted by ごんぼっち at 23:59|
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