2016年03月26日

化学反応的ななにか


今晩は、本日も粛々。


今日は寺子屋にスペシャルゲストが来てくれました。
忙しい時間を縫って、
寺子屋にある本を読みたいのを我慢して、
新高1生相手に話してもらいました。

ホントはね、新中3皆にも話してもらいたかったのですが、
時間の都合上断念。

もちろん生徒たちにどんな化学反応が起きるかどうかも楽しみなのですが、
私自身は、いつもゲストに、
そして私自身にどんな変化が起きるかどうかも楽しみなのです。

さて、寺子屋として考えてみると、
高校入試がゴールじゃない、というのは寺子屋が開校して以来、
たいてい伝わっているなと実感します。
前職の塾では合格発表後、
合格だった生徒も残念ながら不合格だった生徒も、
立派に受験の意味を受け止め、
次(必ずしも大学受験というわけではない)に向かって進んでいく子たちが多かったです。
しかし、一部指導者としての資質を反省するようなこともありました。

例えば、合格した生徒が、
やっと勉強から解放されるとか、
これで遊べるとか、
最低なことをのたまわっていたり、

例えば、不合格だった生徒が、
いつまでもぐじぐじしているとか、
どこに落ちたかでプライドを保っているとか、
せっかくの挫折の経験をふいにしていたり、
(ちなみに不合格の生徒がいることで、指導者が反省をするのは当然。
 ただ、ブログなどの公の場で、ぐじぐじしているのは指導者失格だと思っています)

何のための受験だったんだろう?という生徒を、
少しでも減らしたいのは、
前職時代も独立してからも、全く同じです。
そういう受験直後の歯がゆい思いを、
3期生・4期生くらいから感じていませんから、

しかし、次の課題として、
自分を深く見つめるためのきっかけを、狭義の勉強をとおしてしか、
提供できていないことを、感じるようになりました。
それは、スペシャルゲストが高校生になってから、
日々取り組んでいることを見て、
反省したことです。

どんなアプローチが可能かどうか、
または、敢えてそういった課題に触れない方が私のイメージがすっきりするかもしれませんし、
どうリアクションを取るかは分かりません。


少なくとも、

★素晴らしい人間の話には、自分から積極的に聴きに行く

★聴いて満足して終わるわけでなく、必ず自分を省みてみる

こういう姿勢は、私自身の実践が不足しているから、
生徒たちが自然とそうならないんだと、
痛感しました。


                                ごんぼっち

posted by ごんぼっち at 23:59| Comment(0) | 教育情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする