2016年01月14日

活字中毒の育て方2


今晩は、本日も粛々。(0)


私の両親が、いかに私を本好きの子に仕立て上げたか?
という話ですが、
指導者という立場になって振り返ると、
ポイントがいくつかあるような気がします。

1:子どもの「意志」なんて、あるわけがない
本を読ませようという仕掛けをせずに、
本人が進んで本を読む・・・そんな楽な子ばかりではありません。
何事も、やってみてからでないと、本を読みたいという意志はやってきません。

2:意志の最初は、約束から。
本を読みたいと思うようになって、それが習慣になるまでは、
約束がありました。
私の場合では、日本・世界の名作集を読むということでした。
読書だろうとゲームだろうと、子どもにとって最初は「気分」からスタートしています。
それが意志となるには、失敗があっても、約束を積み重ねていくことですね。

3:あくまで親の「当たり前」の範疇だった
両親に聞いても、こんな工夫をしていた、あんな工夫をしていたという話はでてきません。
ということは、無理に読書好きでなければならないと考えていたわけではないのでしょう。
実際、母は本をあまり読みません。
が、敢えてこんな仕掛けを自然にしていたのは、ふたつの意味で当たり前だったからだと思います。
ひとつは、本を読むなんて学生のうちは当たり前だと思っていたこと。
もうひとつは、子どもにいろんな機会を与えることが当たり前だと思っていたこと。
これは寺子屋の保護者の方にお話しを聞いても、
たいてい似たことが返ってきます。


                                    ごんぼっち

posted by ごんぼっち at 23:59| Comment(0) | 教育情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする