2015年11月04日
勉強に対するイメージが違う
今晩は、本日も粛々。
勉強ばかりしているのが可哀想・・・なんて、
すっとこどっこいなことをおっしゃる保護者の方、たまにおいでます。
部活ばかりで可哀想とは言わないんですよね。
まぁ、運動部や一部の文化部は分かりやすいですよね。
それこそスポ根もののマンガみたいなもので、
応援に一生懸命になっているご家族も多いですし。
でも、本質は同じなんですよね。
今の自分ではレベルが足りない。
それに向けて練習したり、他の生徒と協力し合ったりして、
自分の技術を引き上げて、
試合(テスト)に勝つ。
そして、人間的な成長によって、見える世界が異なってくる。
もう1点、
勉強というものに対するイメージが、まったく異なります。
以前も記事に書きましたが(2012年8月30日勉強のイメージが違う!)
テストなり試験の日が決まっていて、
そこから逆算して「勉強」の計画を立て、暗記したり問題演習したりして、
点数を取る。
そういう「勉強」からもたくさん得られるものはあるのですが、
本来の勉強のイメージは、
いろいろな文献をあたったり、データを分析したり、友達や先生と討論したり、
ある事柄に対する自分なりの納得解を持ちます。
正解でなく、納得解ですから、
その後もどんどん修正されていきます。
従来の「勉強」のイメージですと、「わからない」から「わかった」へ
本来の勉強のイメージで捉えると、「わからない」から「わからない」へ
こういうことをじっくり取り組めるのは、
部活で邪魔されない、小学校のうちですね。
ですから、
特に小学生の寺子屋保護者の方は経験あると思います。
寺子屋に通うようになって、
やたら調べるようになったり、
難しいことを言うようになったり。
これは知識をインプットすることより、アウトプットをしている状態で、
本来の勉強のイメージからみると、その入り口に立った状態です。
勉強は楽しいものです。
ただ、それを本気で信じている大人、
それをきちんと言葉で伝えられる大人、
意外と少ないのかもしれません。
ごんぼっち