2015年10月31日
思いやりの問題
今晩は、本日も粛々。
思いやりという言葉は、
思い遣り・・・相手に思いを配ることが語源のようで、
つくづくよくできているなと思います。
先日ニュースで、
ネット情報を真に受けて、中学や高校のテストで、中国と答えるところを支那と書いて、
先生が点数を上げなかったところ、
公立高校は日教組の支配下ですものねと、捨て台詞を吐く。
こういう類の中学生・高校生がいて、
また始末に負えないことに、
こういう程度の低いことで「愛国心の強い子どもだ!」なんて、
わざわざSNSで紹介しているおっさんがいるという、
随分と気持ちがささくれ立ってしまうようなことがありました。
これは無知かそうでないかという問題ではなく、
ネット情報を鵜呑みにするかどうかというリテラシーの問題でもなく、
私と同じ「当たり前」を共有しない他者がいるところでは、
不快に思わせる言葉は用いない・・・という、
単純にそういう思いやりの問題だと思います。
子どもはいいですよ、
変な考え方にかぶれて、ついつい過ちを犯すなんてよくあることですし、
それくらいの経験がある方が、むしろ大人になってからしっかりしそうです。
大人はあかんですよ。
幕末の志士たちが、すべて異人のせいにしてテロしてまわったような、
程度の低い外国観や、「愛国心」をばらまいては。
なぜかって?
怒りとか蔑む気持ちは、最も伝染しやすい感情だからです。
ごんぼっち