2015年09月15日
熊本城城主の皆様へ
熊本城一口城主という制度があります。
http://spotlight-media.jp/article/116812411396323912
それに登録をしてきました。
名前は、私ではありません。
進学塾寺子屋本楽寺
です。
もし君たちが熊本城に来ることがあったときのために、
こっちで登録しました。
特典は受けられませんが(笑)
今度城主の証をお渡ししますね。
ちなみに特典で嬉しかったのは、
お城のスタッフが「殿っ!」と呼んでくれること(笑)。
私は、腰元のお姉さんたちに殿と呼ばれて、
一人でデレデレしていました(マテ
照れすぎて写真撮るのを忘れました。
今度行った時には、動画に撮ってアップします(ぉぃ
それにしても、九州は美人が多いですね〜。
しかも皆さん情に厚くて気さく。
あ、鹿児島のレンタカーの受付は、気さくではなかったですが美人でした(笑)
九州の女性の皆様、
私なんぞいかがでしょう?(笑)
ごんぼっち
知覧特攻平和会館
鹿児島中央駅から、車で1時間ほど。
お茶で有名な知覧に行きます。
お目当ては陸軍特別攻撃部隊の記念館。
特攻隊で亡くなった方々の遺品や遺書、家族からの手紙、写真が展示されています。
もうね、涙無しには読めませんでした。
祝日でもない、月曜のお昼にもかかわらず、たくさんの人がいました。
私がいた2時間くらいでも、5〜60人くらい。
お年寄りのツアーだと思うでしょう?
いえいえ、若い方が半分くらい。
中には女性一人というのも、何名か見かけました。
遺書の展示では、3分の1くらいの方が、
ハンカチで目元を拭ったり、鼻をすすったりしながら、観ていました。
だって、特攻隊員の大半が、
20代の若い兵や、学徒出陣のメンバー。最年少17歳。寺子屋4期生と同い年。
日本人全てが勇敢な民族なら、
今で言う中間管理職クラスが一番多いはずです。
なんだかね、こういう光景を見ていると、人間って捨てたものではないと、
思うんです。
特攻隊を送り出していた知覧の人々や、軍人の一部が、
終戦後、戦争に関わる資料を極秘のうちに処分されていく中、
隊員の資料などを必死に隠し、
終戦5年後から、こういう会館を作るように働きかけ、
今、ユネスコの世界記憶遺産申請に、尽力しています。
彼らの情熱に頭が下がると同時に、
会館でも語られていませんでしたが、
兵士の遺書や家族への手紙は、検閲されていましたし、
特攻隊のほとんどは、戦艦に激突する前に撃ち落とされています。
(確か、成功率は2%だったか忘れましたが、とても低い数字でした)
それを考えると、
兵士の命を犠牲にすることが前提という下策だっただけではない、
悲哀を帯びます。
一方で、彼らが出撃した主な戦いは、沖縄戦です。
沖縄戦は、沖縄の人たちと本土の人たちとの断絶を端的に示す戦いとして、
語られることが多いですが、
それを超えた、沖縄と本土という二分法を超えた悲劇でもあったという証左です。
こういう点からも接点が持てないだろうかと、
ふと感じました。
それから隣の知覧ミュージアムに。
こっちはガラガラ(笑)
お目当ては、隠れ念仏です。
薩摩藩は、キリシタンだけでなく、浄土真宗を弾圧したことでも有名です。
隠れて真宗を信仰してきた知覧の人々。
信仰は、日本では引いてみられることが多いですが、
穏やかかつ真摯な祈りに、
心を打たれない人はいません。
若干へこたれながら、
大いに考えさせられ、
ほのかに温かいものを感じながら、
熊本城へと急ぎます。
ごんぼっち