2015年08月28日
場所の感覚
今晩は、本日も粛々。
アメリカ人禅僧、日本社会の構造に分け入る
という本を、半分くらい読み終えました。
例えば、今流行りの言葉で言うなれば、パワースポット。
欧米人には、迷信っぽく見えるそうで、
はたと膝を打ちました。
代々お寺をやっている(父で23代目)家に生まれると、
知らず知らず身についている感覚というものがあって、
そのひとつがこの、場所的な感覚なんだと思います。
別に寺っ子(笑)でなくては身につかないわけではなく、
どうしても敏感にならざるを得ないといいますか。
小学校の時、法隆寺に行きましたが、
素晴らしいは素晴らしいのですが、あくまで過去の遺物として感じましたが、
カンボジアのアンコールワットに行った時は、
信仰が今も生きているその圧倒的な雰囲気に、胸が熱くなりました。
西洋人に理解できなくて、東洋人に理解できるというわけではなく、
そういう切り口で言うなれば、
寺子屋は場所を売るところでありたいと思います。
ごんぼっち