2014年06月30日

再建第一弾

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今日は、本日も粛々。



納骨堂完成寸前です。


やっと第一歩です。



本来ならば、門徒の皆さんと一緒にお金を出し合って、

寺=共有物とする・・・というのが、

宗教としての正しいあり方なのですが、



ウチは3代寄付を集めていません。

私も寺を継ぐ時に、

曽祖父・祖父・父とやってきたやり方を踏襲できない程度の人間なら、

私の代でお終いにしなければいけない。

という覚悟で継ぎました。



ですので、自前で建てました。



嫌な噂も聞くもので、

好き勝手言いまわっている方もおいでるようです。

そんな人たちのおかげで、

私の中にある、

反骨心というか、

怒りというか、

そういうものが沸々と湧き上がってきて、

途方もない原動力になっています。



表書きにある「南無阿弥陀仏」は、

暁烏敏(あけからす・はや)先生の書の文字を使いました。

(あ、暁烏敏という方は、こんな方です→ウィキペディア


父が骨董品好きで、集めていたものも全部無くなってしまったので、

少しでも残しておきたいと思ったのがひとつ。


もうひとつは、この書のエピソード。

全盲の暁烏敏先生が、心無い坊主どもに、

「目が見えないなら、『南無阿弥陀仏』も書けないだろう?」とからかわれ、

黙って、硯と紙を引き寄せ、

この書を書いたそうです。



こういう反骨精神、

寺子屋、いやウチらしくていいなと思って、

この字を選びました。



さ、次は外回り、その次に本堂兼、塾兼、自宅です。



人は人 吾は吾なり とにかくに

吾が行く道を 吾は行くなり

                       (西田幾多郎)





ごんぼっち

posted by ごんぼっち at 11:17| Comment(0) | 余談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする