2014年03月31日
自由からの逃走
今晩は、本日も粛々。
何か強制力がはたらいているところから離れることを、消極的自由。
何ら強制力がはたらいていないところで主体的に過ごすことを、積極的自由。
人間、いざ積極的自由を手に入れると、
自由に耐えきれなくなって、
むしろ管理されることに喜びを見出す・・・と喝破したのは、
エイリッヒ・フロムでしたっけ。。。
近年、これをいつも思い出すのが、
「学校は正しい歴史を教えるべきだ」なんて意見が、
大手を振ってまかり通っている時です。
私のイメージですと、
学校で習う歴史は、「検索ワードのマスター」「歴史のひとつの軸」を学べれば、
充分という考えです。
社会に出た後やのちの教育課程で、
「承久の乱」を知っていれば、知識や歴史観を深めることは十分に可能です。
歴史のひとつの軸さえ知っていれば、
後々の研究でそれが覆った時や、新しい見方を知った時に深く勉強できます。
大河ドラマが基本的に、
「学校で習ったであろう見方に、最新の研究成果でゆさぶりをかける面白さ」を、
体現してくれています。
その後の学習や、歴史観の深め方に、積極的自由を担保してくれている、
有難い制度だと私は考えています。
しかし、歴史観に関して、
どこかに唯一絶対の「正しさ」が存在して、
それを教え込まなければ気が済まないという考え方は、
まさに「自由からの逃走」のように思います。
国家に、自分の考え方を縛ってもらって、
日本が好きになれてよかった^^と思うほど、私はМではありません。
そして考え方として、間違っているなと思う点は、
★人間、教え込んだら、その通りになる
という、浅い人間観に基づいている一点です。
私は「正しい歴史を学校は教えるべきだ!」なんて意見を聞いたら、
「そのくらい自分でやれますわ^^;」と答えるようにしています。
ごんぼっち