2014年03月30日

【お知らせ】新高1生の通塾曜日


今晩は、本日も粛々。


新高1生は仮決めで、月水金は必ず来るようにと、本日通達いたしました。

学校が始まったら、また生徒によって曜日が変わったりすると思いますので、

そのあたりはフレキシブルに参ります。



さ、本日で最後の映画。

ラストに選んだのは、



心優しい人造人間の物語。

たまたま、加賀のsipsさんとかぶってしまいました(笑)



映画を使っての授業です。

どんなお話ししているんですか?との質問が多かったので、

ちらっと今日したお話しをば。



シザーハンズは「お伽話」です。

お伽話は、純粋にその物語を楽しむこともできるのですが、

この物語を「比喩」として世の中や人間を観ていると解釈することもできます。

子どもの頃にはできなかった、ある種の楽しみかもしれません。


例えば、日本の昔話にはよく鬼が登場しますが、

これは実際にいた異民族や、習慣が異なる部族、海賊や山賊だったのではないか?

という説もあります。


この手がはさみでできた人造人間、

それゆえに大きな利点と、致命的な欠点を持っています。

何でも思いのままにカットできる類いまれな能力と、

好きな人をその人を抱くと傷つけてしまうことです。


これは何を喩えているのでしょうか。

ひとつには、「一般的な人間の心」と解釈できるかもしれません。

人には美しくて純粋な心と、

触れると人を傷つけてしまう心の両面を必ず持っています。

ほとんどの人が、この主人公にとても肩入れしながら観ていたと思うのですが、

それは「人を愛したいけど、傷つけてしまう自分」という、

接点があったから、共感してしまったのかもしれません。


もうひとつ、

はさみの手を持つ人造人間を、

特別な能力を持つ個人、もしくは民族の比喩と考えたらどうでしょう?


日本で言うならば、

古代の渡来人をはじめとする、貿易相手も含めた外国人や、

異なった身分の職能集団というものが存在していて、

彼らは常に、

恐れと畏れもって接していた様子が、歴史からも窺い知れます。


特殊な能力を持った個人や集団は、

役に立っているうちは歓迎されますが、

一度自分たちの「ルール」の中に取り込めないことが判明すると、

途端に「非常識だ・恐ろしい存在だ・危害を加えるかもしれない」という視線で

視られるものです。


特殊な能力を持った人や集団は、その時どんな行動を取るか。

ひたすら相手のルールに順応し、溶け込もうと努力するか、

自分の能力を認めてくれた人だけを仲間と認めて、部分的につながっていくか、

「普通の人たち」の世界と接さないところに移動して、ひっそり棲み分けするか、

戦って散っていくか、

いずれかの道を辿って行きます。


このお伽話では、

その「異端の者たち」の哀しみに、ほんのり触れるという、

いつもの私たちの発想と逆の視点を与えてくれていました。


「ボクのお父さんは、桃太郎というやつに殺されました」


この広告のように。




こんな授業を映画でしています。

本来、勉強から眺める世界には、こういう自分や世の中を見つめる話が、

たくさんあります。

点数を追っかける勉強だと、つい後回しになりがちなのですが、

こういう隙を突いて、

たまには触れてみたいのです^^



                            ごんぼっち


posted by ごんぼっち at 23:59| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする