今晩は、本日も粛々。
仕事柄、本を読むことが多いです。
まぁ、単純に読書が好きというのもあります。
行きすぎて、
本を読まない人は、人でない・・・というくらい、
原理主義者になっております。
塾の先生は、
生徒に教科を教える人であるから、
教科に関連するような書籍を読むのは当たり前です。
また、ビジネスパーソンでもありますから、
ビジネス書を読むのも、当たり前だと思っています。
そして、教科「で」教える人でもありますから、
文芸書や専門書等も読むのが、当たり前だと考えています。
そういうふうに読書生活を送ってきて、
何かひとつ足りないなーと思っていて、
ふと思い立ったのが、本業でほぼ毎日読んでいるお経です。
そっか、私の読書生活には古典が足りなかったんだ!と。
それで以前、夏目漱石で一番好きな、
『私の個人主義』という講演を文字起こししたものを買って、
それ以来、気になる古典を何か1冊、
手元に置いて、ふとした折に読みたいなーと思っていました。
そう言われてみれば、
私から見て塾であろうが、他業種であろうが、素晴らしい経営者は、
総じて古典を愛しています。
前職の社長は、一時期ベストセラーになった、
道元の素晴らしさを切々と説いていましたし、
教行信証、歎異抄、徒然草・・・といった日本の古典だけでなく、
プロテスタンティズムと資本主義の精神や、自由論、カラマーゾフの兄弟など、
西欧の古典もよく、いろんな敏腕経営者たちから勧められていました。
そうなんですよね、
古典って不思議なもので、
ひりひりと渇くような、読まなきゃ!読みたい!という渇望感に駆られるわけではないのですが、
ふとしたスキマに聞きたくなるビートルズやストーンズのような、
そんな読みたさに襲われる代物です。
そんな私が先般購入してきたのは、
★論語
です。
まぁ、祖父が病床の折、大きな字の論語を買って行ったら、
とても喜んでいたので、
(結局それでも字の大きさが足りずに、読めなかったのですが)
思わず手に取ったのですが、
私はもともと、高校時代、諸子百家に心酔していた頃があります。
諸子百家とは、中国の春秋・戦国時代に活躍した思想家たちです。
きっかけは中学の時に読んだ、井上靖の『孔子』です。
・・・というと、
まぁ、頭のいい中学生だったのね。。。って半ば呆れられながら、
リアクションされるのですが、
表紙がカッコ良かった(笑)

ほら、重厚で、
持っているだけで、開いただけで、
大人な教養人みたいな雰囲気じゃありませんか(笑)。
所詮、中学生なんて、そんなものです^^;
そこから荘子、孫子、荀子、孟子、老子などなどを読んでいったのですが、
当時私の心を最もとらえたのは、
★老子
です。
高校時代に、勝手に師と崇めていた先生から、
老荘の思想はねー、
努力することを覚えてから読まないと怠け者になっちゃうからねー。
あー、根保ちゃんはだから、
努力しない達人なんだー(にやり)
と言われながら、読み続けました。
そんな私が、まさか論語を手に取るとは思いませんでしたが、
買って、ぱっと開いたページに、
子貢、仁を為すを問う。
子いわく、工(たくみ)そのことを善くせんと欲せば、必ず先ずその器を利ぐ。
この邦に居るや、その大夫の賢なる者に仕え、
その士の仁なる者を友とせよ、と。
子貢が、仁(人の道)の実践方法を質問した。
孔子はこうおっしゃられた。
職人がいい仕事をしようと思うと、必ずまず道具を磨く。
そのように、自分がいる国においては、重臣のうちの賢人を選んで、
そこに仕えることだ。
そして、同僚のうちで人格者と親しくすることだ、と。
・・・なんて文章に出会ってしまうわけですから、
啐啄の機(そったくのき)ではありませんが、
やはり私には、
論語から呼ばれていたんだなと、
つい思ってしまうのです。
古典もいいものですよ^^
ごんぼっち