2014年01月07日
教育効果に言及する人はいても、教育の核に言及する人は少ない
今晩は、本日も粛々。
寺子屋は昭和の香りが漂う指導方針かもしれません。
挨拶や礼儀が伴わない人に、
わざわざ時間を割いて指導する気はありません。
・・・と、学力テストの採点がてらネットサーフィンを久しぶりにしていたら、
東洋経済での記事(珍しく失念しました・・・)で、
小さい頃からの英語教育なんて、費用の割に身にならない。
なぜなら日本語漬けの空間にいるからだ。
それなら最小限の費用で済む、英会話教室で充分と。
そんなことより、
挨拶ができない、
自分の意見を言わない、
相手が配慮してくれたことに気付かず、ありがとうと言えない
こんな人間が、英語や他の言語を話せたとしても何にもならない。
・・・というような、マルチリンガル(多言語を話せる人)のお母さんが、
我が子への教育方針として語っていました。
私はマルチリンガルでも、国際人でもありませんが、
「受験勉強」なんて、社会の必要悪扱いされるものにこだわってきて、
彼らの考えと、一部同じところにたどり着けたのは、
感慨深かったです。
これらの礼儀を支えるものは何か。
私は、知的好奇心だと思います。
寺子屋は何を教えてくれるところですか?と聞かれて、
勉強は、知的好奇心を刺激するものだ・・・ということを伝えたいですと、
迷わず答えます。
私は東大寺学園高校の説明会や、金大附属高校の説明会で感動したのは、
まさにここです。
入口としては、
成績上げます・いい高校目指します・・・ですが、
その実は、
「学問の楽しさを知る虎の穴」でありたいと思っています。
最近観た映画でありました。
効率優先の世の中だが、我々の心までそうなっていいのか?
と主人公が叫んでいました。
とても共感します。
ごんぼっち