2017年03月12日

センスや地頭

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春期講習生募集中です。


今晩は、本日も粛々。

恒例の、京都で低学年指導の勉強会に来ています。

寺子屋を作る前、大手塾にいた頃の最後あたり、
今まで漠然と感じていた子供たちの変化を、強烈に思い知りました。
頑張っても頑張っても、成績が頭打ちになってしまう生徒の存在です。

そこで独立後、小学校高学年に力を入れ始めたら、
なんとかなった生徒と、そうでない生徒にくっきりと分かれました。
9歳の壁という言葉があるように、
低学年から着手したい。

現代は便利になりすぎて、普通に生活しているだけで感覚的に身についた能力が、
いろんな子どもに身につくとは限らない。
私たちが、優れていて、今の子が劣っているというわけではありません。
今の40代半ばから39歳くらいまでは、学力低下を研究者たちから言われ始めた世代です。

低学年から指導したいと思いましたが、
いろいろな人に会ったり、指導方法を見たりしても、どうにもピンとこない。
ひどいのになると、
低学年や幼児を相手にしているのに、センス・地頭・親のせいで片付ける方、
パズルをやれば論理的思考力が身につきますなんて、
多分論理的思考力を分かってないんだろうなという方、
そんなのがゴロゴロといました。

今、京都で習っている先生にお会いした時、
一発で本物だと思いました。
ジグソーパズルの最後のワンピースを見つけた感じです。
しかもそれを、30年以上前から着手されている。

分かりやすくいうなれば、1+1=2ではない。
ひとつとひとつが合わさるとふたつという算数、
いえ、考え方の土台作りです。
宇ノ気にゆかりが深い西田幾多郎先生の孫、
教育哲学者上田薫先生の著作に『抽象への抵抗』がありますが、
『抽象へのブリッジ』というような内容です。

計算ができるようになってから文章題なんて、アホな進み方はしません。
概念を知ってもらえば、計算問題も文章題も同じです。
いえ、むしろ計算問題は文章題です。
今低学年の子たちは、文章題が急速に得意になりつつあります。
そしてこれが高学年になった時に、
国語へとつながります。

国語は全教科の土台である。
その通りですが、その意味を分かって言っている人はごく僅かです。
算数・数学と国語が同じ科目であって、
それをふまえて教えると、とても楽です。


ごんぼっち
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2017年03月08日

本来の勉強

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春期講習生募集中です。


今晩は、本日も粛々。

筑波大、東京農工大に次いで、富山大も合格が出ました。
これで中3から通っていた生徒は全員国公立合格です。
卒塾した生徒からも国公立合格の連絡を受けました。

寺子屋生は受験が終わっても、即本来の勉強に打ち込んでいると言いました。
大学入試を終えた彼らがどんな勉強をしているかといいますと、
大学で習う数学(全員理系でしたので)、
専門科目に関わる書籍を読む(寺子屋ではちゃんと調べられるようになっています)、
英語の文章を読む、
こういうのをやっている子が多いです。

で、大切なポイントなのですが、
これらの勉強は私が指示したわけではありません。
質問されて答えた勉強はありますが、
あくまで彼らが自発的にやったことです。

一番はおそらく、
先輩たちがそうやっていたのを間近に見ていたからだと思います。

今日、公立高校入試を終えた中3生たちを呼んでいたのですが、
その時間に来れなかった子も含めて、
要件が終わっても、自発的に勉強していった子が多かったです。
いわく、
勉強してないと落ち着かない(学習習慣が身についた証拠です)、
今まで読みたかった本ややりたかった勉強したい
(知的好奇心が備わってきた証左です)。

寺子屋7期生は、受験生としての意識が史上最低だったのですが、
何も指示をしていないにも関わらず、
勝手にやり始めた子が過半数いたのは、とても嬉しかったです。

私がどうこうというわけではなく、
寺子屋生たちが培ってくれた文化と、
学問はやはり面白いものなんだということが、
彼らの姿を見ていると、
改めて感じ入りました。

受験にしか価値を置いてない場合だと、
まずできないことだと自負しています。


                             ごんぼっち

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2017年03月07日

いつも通り

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春期講習生募集中です。


今晩は、本日も粛々。

公立高校入試1日目でした。
前日からいつもと変わらず、淡々と過ごしました。

そして私もいつも通り、
寝れないので、行きつけのお店で朝まで待っていました。
友人2人がいつも通り、お付き合いしてくれていて、感謝です。

毎年思う事ですが、
寺子屋生であるかそうでないか関わらず、
頑張った子が合格してくれればいいと思うのですが、
今日と、合格発表前だけは、
寺子屋生だけ受かってくれればそれでいいと思ってしまいます。
身勝手ですねー。

さて、大学入試の結果もいつも通り。
筑波大と東京農工大に合格が出ました。
先日お話しした生徒とは別なのですが、
これまた知的好奇心をバリバリ持った、自信を持って大学に送り出せる生徒たちです。
今までの受験勉強の鬱憤を晴らすかのように、
目の色変えて、本来の勉強をしている生徒たちです。


                               ごんぼっち
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2017年03月06日

通じ合う感覚

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春期講習生を募集しています。


今晩は、本日も粛々。

日曜に、友人が一周忌でしたので、横浜の友人2人と共に、
お墓参りをしてきました。

新潟との県境にある小さな町、石川県でいうと中島町とか押水とか、
あのあたりのイメージですね。
亡くなるまで、タイミングの問題であまり語り合えなかったのですが、


地方都市に育った、上位高校出身者の複雑な感情


というのがあります。
大学時代都会に出たときに、地方出身者同士でも、
きちんと考えて中高を過ごした子たちには、
敢えて語らなくても何かを抱えているのはよく分かりました。

私が独立して塾を作ろうと思った時に、選択肢は2つありました。
東京・横浜で国語専門塾を作る、
かほく市にトップ校専門塾を作る。
結局後者を選んだのは、お寺を継ぎたいというのが第一ですが、
第二は、そういう生きづらさを抱えた子たちの力になりたいというのが、
ありました。

寺子屋では各中学でトップ10に入る子たちが多いですが、
5番内くらいをキープできるようになったら、
学年1位を目指して、
何々模試で1位を取れ、
なんてことはあまり言いません。

そういうことは、普通の塾さんが頑張ればいいことであって、
進学塾を名乗るからには、
たっぷりと本来の勉強をしてもらいたいなと思っています。

先日も保護者の方からお話しをいただいたのですが、
点数を追っかける塾ならたくさんありますが、
点数を取りながら、知的好奇心を伸ばす塾って、ホント無いんです、と。
点数や実績でもそこそこ頑張っていますが、
それは受験本来の意味、勉強本来の意味を踏まえられたから、できたことです。

富山市内に出て、とある本屋さんに立ち寄りました。
棚がきちんと整理された、今どき珍しい本屋さん。
その文筆家さんが発表している主著がきちんと置かれていて、
さらに最新刊でも注目どころが置かれている。
その棚の担当者さんがオススメしたいポイントが隅っこに主張されている。
ヘイト本が置かれておらず、置かないことをわざわざ自己主張していない。

久しぶりに何時間いても飽きない、いい本屋さんに会いました。
昔はリファーレの中にあるリブロが良かったんですが、今どうなっているだろう。。。

こういう本屋さんみたいに、
分かっている人が見ると「おっ!」と思う塾でありたいなと思います。


                                  ごんぼっち

posted by ごんぼっち at 16:01| Comment(0) | 寺子屋について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月05日

「選択肢を増やす」「自分に向いている」という消極的な選択

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先日最終のが入ったチラシです。
勉強を頑張りたい人たちのお問い合わせをお待ちしています。


今晩は、本日も粛々。

生徒たちには偉そうに進路について説く私ですが、
大学時代はその進路に悩み果てた経験があります。
その時、教育哲学のゼミの先生に相談に乗ってもらえ、
「こういうことが向いているのではないか」
「自分に合っているのはこういうことじゃないか」
みたいなモノローグ(独り言)のような失礼な相談をしていました。

アドバイスいただいた言葉にはっとしました。
「いいじゃないか、失敗しなさい」

もうお一方の先生からは、
「うーん、相当悩んでいるね。
そういう時は『向いている』とか『合っている』みたいな、消極的な選択も仕方ないかもね」

私が自身の道については、それまでは積極的に考えてきた方でしたが、
何をやりたいか
(つまり、自分を変えてまでその道に飛び込んでみたいという覚悟を持つ)
より、
自分を変えずにありたいと、いつの間にか思っていたんですね。

向いているなんて耳触りがいい言葉ですが、
それを「消極的」とぶった切ってくれたことに、
今でも感謝しています。

そして、失敗を繰り返してもいいから、ちゃんと積極的に人生を選べと、
アドバイスしてくれたもう1人の先生にも。

自分の道を選ぶときによく、
少しでも上の高校に行った方が、将来の選択肢が増える。
自分に向いている道を見つけよう。
なんて言われます。
それが悪いんじゃないんです。
当人以外の人にとっては、そうとしか言えないことも多いのです。
選択肢を増やすことで、やりたいことができた時に備えよう。
やりたいことを追究するわけじゃないのです。

ただ、その言葉を受け取り、実際に道を決める人にとっては、
少しでもやりたいことを見出そうという積極性は失って欲しくないなと、
切に思うのです。

その「やりたいこと」は、
必ずしも予め、受験前や進路選択の前に分かるとは限らず、
実際にそこに飛び込んでから、遅れて分かることも含みます。

大事なので繰り返します。
実際にそこに飛び込んでから、遅れて分かるということもたくさんあります。

そのためには、
何気ない事柄からでも心を動かすという、
日頃の習慣がモノを言うのです。


                              ごんぼっち
posted by ごんぼっち at 23:59| Comment(0) | ちょっと思ったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする