2015年04月22日

元東大生と話していた時のこと


今晩は、本日も粛々。


東大出身者たちと話をしていたときのこと。
彼らは判で押したように、
東大内でレベルの違いを思い知った・・・と言っていました。
入学した大学のレベルは全く異なりますが、
意味合いはわかります。


受験で点数を取る勉強しかしてこなかった、主に田舎出身の人と、
勉強本来の意義を吸収して大学に入った、主に都会出身の人と、
乱暴に分けるとこのような感じなのです。
あ、もちろん、
東大に限らず、その大学という環境を得て、
大きく才能を開花することができた人だってたくさんいます。


つまりは、情報格差ですね。


大学受験の時、
志望校の授業まで受けにいったり、教授の本や論文を読んだり、、、
ということを当然のようにしている人たちがいました。
詳しくはこちら

大学院に進学する時や就職の時は、
こういう情報収集分析が、普通になってきます。


たとえば、
灘高校での話を聞いていますと、
私は羨ましくてしょうがないですね。

大学生が読むような書籍を読書会を先生と行い、意見交換をする。
(まー、灘高生でもきつくてほとんど辞めるみたいですがw)
OBのつてで、学者や実業家などなどと話ができる。
日本最先端の研究内容を見学に行ける。
などなど、
こういう「正しい勉強」をしていると、
そらレベルが違いますね。


もちろん、そういう素晴らしいレベルに達することなく、
素晴らしい名前を冠した高校・大学出身者もいます。
だいたいそういう人を見ている時に、
その事象を見ている人の哲学が反映されます。

素晴らしいレベルにまでいけなかった人をみて、それみたことか。
素晴らしいレベルに達していたら、当たり前。

彼らが立っている世界を認識すらできないという、頭脳の問題でもあり、
自分の考えも及ばない世界があるかもしれないという、人格の問題でもあります。
有名高校・大学コンプレックスの人でしたら、
その力を過大評価するとはいえ、いい面を見つけられるだけ、まだマシかもしれません。


私は、大学時代と社会人になってから、
ようやく勉強にハマって今に到ります。

幸い少しなら、そういった情報が入ってきますし、
自分で構築することもできます。

かほく市という田舎にありながら、
自分が垣間見た世界をお伝えして、
少しでも上のレベルで勉強できる作法が身に付いた生徒を、
少しでも増やしたいと思います。



                               ごんぼっち


posted by ごんぼっち at 23:59| Comment(0) | 教育情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする