2015年04月09日

語彙力について【附属泉丘の国語6】


今晩は、本日も粛々。



イマドキの子が、漠然と国語ができない気がする。

なぜできないか?より、何ができないのか?

それは言葉と言葉の関係から、考える優先順位をつけるのが苦手なのではという仮説にたどり着きました。

そこまでたどり着いた時に、

語彙力が少ないな・・・という問題も私は、すとんと腑に落ちました。



言葉そのものの数が少ないのは、誰しも気付くことだと思うのです。

単純に、野球や相撲などなど、今の大人たちが知っている「当たり前」を知らないことや、

じいちゃんばあちゃんと話す機会が少ないがための、

語彙力不足は、それこそ塾が嘆いてもどうしようもできないことです。

そんなことより私がいつも気にかかっているのは、


・部首の知識が少ない

・ことわざや故事成語・慣用句を知らない

・類義語や対義語を知らない

・文法になると途端に苦手になる


この4点です。

論理の観点から見ると、この4点は致命傷なのです。



論理的思考力とは、

@言いかえ表現(具体⇔抽象、比喩も含む)

A正反対の表現

B因果関係

と言いました。



部首は、漢字という膨大な知識を、ある法則に従ってまとめたものです。

木材関係はきへん、水関係はさんずい、火関係はれっか・・・のように。

これは、漢字を束ねるひとつの抽象的な理論です。

この知識が欠落しているということは、

ひとつは、漢字を整理整頓して覚えていない

もうひとつは、漢字を見た瞬間に、

具体的な目の前の漢字を、抽象的な部首理論にあてはめるという練習をしていない

ということです。



ことわざ・故事成語・慣用句は、大半がたとえ話です。

比喩による言いかえ表現のうち、我々に最も身近なのは、これらです。

これらが苦手な生徒は、

「夢は大切だ、まるで未来を決めるようなものだ」なんて日本語を平気で書きます。

平均点程度の生徒の話ではありませんよ。



類義語・対義語に関しても同様です。

言葉を似たグループでまとめたり、正反対の意味でまとめたりというのは、

言葉の数を持つ上で不可欠です。


意欲的・強気・前向き・夢中・誇らしい・ひたむき・信じる・・・

消極的・弱気・後ろ向き・無気力・恥かしい・自堕落・不信感・・・


似た言葉や正反対の言葉でまとめてしまえば、これらが同じ方向の言葉で、

しかもそれぞれとの意味合いの差も際立つので、覚えやすいです。

知識の性質は、

知識と知識が結びつくと忘れにくく、

単独だと忘れやすいものです。

組織と同じですね。

バラバラだと大人数でも弱く、まとまっていると少人数でも勝つ。



文法は、言葉と言葉の関係をとらえるためのルールです。

よく「文法なんて、日頃言葉を使う時に意識なんてしないから、無駄だよ」という話がありますが、

ひとつは、大人はある程度正しい日本語を使うのが「当たり前」になっているので、

その重要性にはなかなか気付けません。

できないことはよく気付くが、

できていることが何のおかげで成り立っているかに気付かないのは、よくある話です。

ふたつめに、文法は日本語を使うために必要なのでは無く、

論理的に日本語を扱うために必要な知識です。

英語でも、ただ日常会話をするのと、教育を受けた英語とではその性質が異なります。



現象としては、国語のある分野が、ちょい苦手・・・という体裁を取っていますが、

その実態としては、

日頃ふとした時に、論理的に頭を動かすだけの材料がそろっていない

という点で、実は致命的な欠点のように思えます。

生徒たちがある程度の量の知識を、各個撃破のように攻略している状態だとすれば、

抽象と具体の飛翔、

無関係に見えたはずの事柄がある一点でつながる興奮、

巧みな比喩で文章がぐっと美しくなる魅惑、

単独では分からなかったことが、比べることで明確に見える驚き、

対立していた事柄が高い次元で統一した際のダイナミズム。

こういう知的興奮を、日常的に得ていないというのは、とても勿体ない気がしてきます。

そしてこれらの単元を「入試での配点が低いから」と、「やればできるから」と、

なおざりにしてきた私たち塾の責任も大きいような気がします。

もちろん、私も含めてです。



論理的思考とは、論理的であることが大事なのではなく、

「思考」というのがポイントです。

思考ですから、「日頃頭を動かす動かし方」です。

日頃からの頭の動かし方ですので、何気ない機会にどれくらい実際に動かすかが大事です。

そして、小さな日頃の積み重ねが、大きな思考力と育っていくわけです。



イマドキの生徒が、国語に対し漠然と分かっていないのではないか?という疑問と、

なぜこの子たちは語彙力が少ないのだろう?という疑問は、

論理的思考力という一点でつながりました。

国語は全教科の土台である・・・とは、いろんな方も仰っています。

いろんな教科でみられる、

あれ?という事柄もつながってきました。

次回はそのお話し。




                                   ごんぼっち


posted by ごんぼっち at 23:59| Comment(0) | 附属・泉丘の国語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする