2015年03月07日

個人塾の強み


今晩は、本日も粛々。



サラリーマン時代、一番嫌だったのが、

労働基準法に縛られるということです。

仕事人間ですから。


望まない人を必要以上に仕事時間を増やす必要もありませんが、

仕事したい人にくらい存分にさせてくれと、

思っていたものです。



独立してそれから解放されたのは、

本当に嬉しいです。



やるんだったら、徹底的にやってみたらいいじゃない。

というのが、寺子屋のスタンスです。

ですので、

定期的に休まなくてはいけない

サラリーマンにはそういう点では負けるわけがありません。



数で敵わなければ質で、

物量や資本に敵わなければ努力量やマンパワーで。

弱い個人塾が存在意義を発揮する、

数少ない方法だと思います。



いえ、やろうと思えば、できるんです。

「塾ではなく、家で勉強できるようにならなきゃダメ」

なんてもっともらしいことを言って、

自分がのんびりする。

そしたら、



中3から来た生徒をあくせく鍛える



しか、自動的にできなくなるわけです。

受験があるからかろうじてもっている塾・・・ですよね。

勉強は、受験がなくても大切なものです。

そう考える私には、

採りたくない方法です。

受験以外の価値を、市場から認めてもらえない。

勉強を少しでも真面目に考えている人には、屈辱的です。



多分、私が家庭を持っていれば、

妻子との時間のために、休みを多くする方法を採ると思います。

が、

何らかの方法で塾を開けるか、

家庭学習をサポートするか、

それ以外の方法を模索するか、

どれかを採るでしょう。



そして、何より自分をぬるま湯につけてしまうと、

自分以外に原因を求めて、

他塾がどうこう・・・なんて述べたくなるわけです。

油断するとそういうところに陥ってしまうのは、

私自身も何度も経験があります。



私はそういうのを「かっこ悪い」と思ってしまうので、

四六時中開いている塾というのは、

理想的なわけです。



つまり、

自分のやりたいことと、

(自分が考える)生徒の勉強に必要なこと、

そして来てほしい生徒・保護者にとってためになること

それらを総合して、今の仕組みがあるわけです。




そうそう、

たっぷり休みを取る塾で、素晴らしいなと思った塾さんは、


「塾長の私がたっぷり遊んで、人生を楽しんでいないと、

生徒の前に立って人生を伝えることなんてできない」


かほく市より子ども人口が少ないところで、

寺子屋の倍くらい集めていて、

しかも生徒の成績は優秀ですし、

そう豪語するだけ、仕事もしっかりやる方ですから、

私も思わず納得しました(笑)。



意識が高い・低いは、生徒や保護者にも伝染しますから、

自分自身の意識も、

常に高く持っていたいものです。



                          ごんぼっち


posted by ごんぼっち at 23:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする